六日目は、十牛図に追加した廓庵の「詩」の題名へのアプローチに入っていきたい。
最初の詩の題名は “尋牛”
これは牛の探索について 書かれたものである。 この 「牛」 というのは、生命力や活力やダイナミズムの象徴と言われている。 牛はまさに生命そのものを意味している。 そして、牛はひとつの象徴でもある。 廓庵の詩を読み解くにはそれを覚えておく必要がある。
我々はここに存在しており、そして、生命もある。 だが、生命が何であるかを知ることはまずない。 我々はエネルギーを持っているが、どこからこのエネルギーが来て、どのようなゴールにこのエネルギーが向かっているのかを知らないでいる。
しかし、実際には我々がそのエネルギーそのものなのである。 それなのにまだ、我々はそのエネルギーが何であるのか気づくことはない。 我々は根本的な問いである 「私は誰か?」 を知らずに生きている。 その問いは牛の探索と同じものだ。 「私は誰か?」・・・・・・
そして、これが知られない限り、どうして生きていられるのだろう? 我々が自分自身を知らない限り、何をやっても空しいに決まっている。 最も基本的なことは自分自身を知ることである。 ところがなんと、我々はその最も根本的なものを逃し続け、些細なことに拘り続けてゆく。
牛は我々のエネルギーそのものを意味している。 自分という知られざる不思議なエネルギー・・・・・・ そこから我々が実存するようになり、一本の樹のように成長し続けている。 その凄まじいエネルギー、このエネルギーは何なのか? それが牛の意味するメッセージである。
明日につづく