東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ひだりで次第に光りだす④

できる限り左右差をなくすことでパフォーマンスを上げる「運動」成果を得る前に感じられていた素直な感覚とそこから生まれる感情。

違和感を違和感として素直に受け取り、不自然なことは不自然と納得できずにいた頃のはなし。

小学校低学年の頃に父親が買ってくれた野球のグローブはなぜか右利き用のグローブでした。後から聞いた理由はもう覚えていませんので、対した理由ではなかったのかもしれません。

右手で投げるという慣れない行為を続けた結果、愉しくはないもののある程度はキャッチボールもできるようになりましたが、ある日、友達同士で草野球をしていたときに、その中に左利きの子がいてその子から左利き用のグローブを借りて驚きました。

あののびのびと左手で投げられたときの解放感。何かセーブしたようにグローブからそれないように、コントロールすることばかりに意識がいってしまっていた今までの右投げとは全然違う感触。

左手を大きく振って、左側がのびながら投げられる遠慮の無いうごきの解放感は、コントロールすることから解放される意味もあったのでしょう。

後天的に学習する「運動」において、素直に感じられていた違和感も納得できずにいた不自然さも、獲得した運動能力と引き換えに陰を潜めてしまうこともあるでしょう。

そうであると感じられる素直さと、そのようになっていることが自然であると感じられることは、愉しさにも悦びにもつながってくるという体験をわたくしはかつてしていたのです。

わたくしはたまたま左利きとしての体験となりましたが、ここに「運動」と「うごき」の違い、そして、「ひだり」ということが大きく関与しているように思えてくるのです。