言葉以前の感覚を受け取り、誰かに伝えるために言葉にしていくとき、言語化するために左脳は回転し出す。
言語を習得する以前の幼児は、まず初めに右脳が活発に働き、言語の習得と共に左脳も働き出す。胎児の頃の記憶は右脳に納められている。そのような可能性を示唆するような話もあります。
感覚をインプットし、言語をアウトプットしていく。右脳をつかい、左脳をつかう。なんという自然な流れなのでしょう。
後天的に身に付けていく学習の前に、先天的にもともと備わっているものや順序、道筋、がいかに大切かということも「ひだり」は教えてくれます。
わたくしは子供の頃から左利きでもあり右利きでもあるいわゆる両利きでした。自身の感覚としては左七割、右三割といったところです。
「左利きだ」と自覚するのは大抵からだを動かしているときでした。野球では左投げ、左打ち、サッカーではボールを遠くまで蹴り飛ばせるのも、ボールをコントロールするのも左足。バスケットボールにおいてもメインで使うのは左手でした。
「右利きだ」と自覚するときは字を書くときと箸を使うときです。
今振り返ってみると、全身で動き、かつ、周囲の空間の状況を把握しながら力を発揮するときは「左」をつかい、局所的に同じような動作を繰り返す動きの中で力を発揮するときは「右」をつかっていたのかな、なんて思ったりもします。
ただ、繰り返し学習していけば、その努力に見合った分だけの成果を上げられることも事実であり、それは「運動」を通してわたくし自身も体験してきたこと。
「左右同じように使えた方がいい」という考えの下、「運動」においては苦手な「右」をいかに得意な「左」に近づけるかという学習を行っていました。
まだ「ひだり」にひかりが灯っていなかった頃のはなしです。