おはようございます。
からだは、言葉に反応する。
頭で言葉を理解して、それがからだの反応となるように考えている人もいるだろうが、頭が先ではなく、無意識の内にもからだが先に反応している。
頭で理解できていない言葉にも反応してくれている。
からだは、言語理解というよりも、もっと崇高な理解の仕方をしているのではないかと思える。
人間をはじめ全ての動物のからだには、この地球で生命が誕生して以来の進化の歴史が、生命記憶として埋め込まれ受け継がれていると説く人もいる。
私たちは、胎児として母親の胎内に宿ってから出産までの間に、単細胞生物から多細胞生物、脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と生物の進化の過程を再現しながら産まれてくるのだという。
自分の頭の中には、そうした記憶は残っている感じはしないが、からだにはそうした生命記憶が残っている。
残っているから、生きていられるのだと思う。
地球で生命が誕生したのが30億年くらい前とされているので、その生命記憶とは想像を絶するものであろう。
人工的につくりだされたAIなど足元にも及ばないであろう。
そうしたからだと常に一緒に居られ、必要なサインやメッセージも送ってもらえる。
からだと一緒に存在できているだけで、生きてるだけでも凄い事なのだと感じる。