おはようございます。
私達のからだには、この地球で生命が誕生して以来の進化の歴史が、生命記憶として埋め込まれ受け継がれているといわれる。
この事一つとっても、からだというのは凄いと感じる。
高度に発展した文明の中で生きる現代人が忘れてしまっているもの、それはからだへの想いであり、それが物質的には豊かなのだけど、何か不安を抱えやすく、ストレスと手を組みやすい状況をつくっているように思える。
キリスト教では、からだは精霊の宿る神殿だと説かれているという。
聖書の中の有名な一文がある。
主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。
(創世記2章7節)
この一文からも、からだは物質的な単なる肉塊ではなく、神から命の息を吹き入れられた霊的な存在であり、その上で私達の存在もあるという捉え方もできると思う。
霊的な存在とは、単なる物質とは異なり、神や天といったものとの交わりを持つことが可能という事であり、メッセージの送受信を行っているのではないだろうか?
そうだとしたら、自分がからだに対して痛めつける様な事をしていたり、言葉を吐いていれば、それが神にも伝わる事となってしまう。
それならば、からだをいたわり、優しい言葉、感謝の言葉をかけてあげる方が良いのではないか。
実際、そうした方が、心は安らぎ、不安やストレスの解消につながると思うし、自分だけでなく、周囲にも良い影響を与えると思う。