東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 像は像を写し出す

見えない像(実相)は、その似姿を現象にあらわす(虚相)

「私を感じなさい」と、問いかける。

橋本敬三先生が書き残した文献に、
力学的医学の構想 ー 求学備忘録 ー がある。

ここに橋本哲学の神髄がある。
生涯心に刻んでほしい言葉である。

神、その像(かたち)の如くに人を創造(つく)りたまえり。
人は神の像なのである。
神の像なる人間が、なぜ病気をしたり、死んだりせねばならないのか。
これは医学の範疇外ではあるが、重要な関係がある。
人が神性を自己に発見し、よくよく、これを思い、全く神人合一した
状態においては、病も死も問題の外に置かれる。
そして、その神性が発揮されればされるほど人は健康である。
神に病や死がないのと同様に、その像である人にも、
その通りであるべきはずである。

神と人とが同じ像であるとの信念から離れるほど
完全な像から遠ざかってくるのは当然のことである。
これを迷いというのであろう。
迷いが深まるほど、人の生活は神性顕現から遠ざかる故に、
健康を害する因子を積み蓄えることになる。
像も歪んで来たらざるを得ないわけである。

橋本先生は、
「人は神の像である」と断言している。
なぜ、そこまで言いきれる人なのだろうか。

「神と人とが同じ像である」とも言いきっている。
そこまで公言する師の信仰とは、師とはいったいナニモノなのだ。

そんな師の元で、
真弟子として迷いがなく生涯学ばせていただいている自分も、
いったい何者だったのであろうか。
と、しみじみ考えてしまう。