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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

感じとることから・・・2。

友松 誠(ともまつ まこと)

おはようございます。

 私たちは、自然環境をはじめとする様々な環境と関わりあいながら、呼吸し、飲食し、動き、精神活動を行いながら、生命活動を営んでいます。

  これらの生命活動をバランスよく営む上で、欠かせないのが、感じるということです。例えば、息苦しく感じたら、衣服を緩めたりして、呼吸をスムースに行なえるようにする。営養や水分が不足しないよう、空腹や喉の渇きを感じたら飲食する(食)。身の危険を感じたら、動いて逃げる(動)。

 簡単な例を挙げてみましたが、普段何気なく行っている事でも、生命活動を営むうえで大切な事を行っていると思います。何気なくでも大切な事が行なえているのは、感じるということを元に「息」「食」「動」が調和しているからです。そして、調和を元にした行動が起こる。

 感じて、からだが動く。思考を超えて、そういった能力が元々備わっているということは有り難い事だと思います。

 お気づきかと思いますが、ここまで、「想」の精神活動の営みの事が出てきていません。それは、精神活動の営みは「環境」と「息」「食」「動」の調和のうえに成り立っているからです。

 「想」は言葉を有し、文化、文明を創造し、自然環境に手を加える事ができる人間独特のものだ。それによって色々な物事を発展させる事が出来る。他の動物からしてみれば神のような存在である。しかし、その反面、実相として自在する神や、神の創造った自然の秩序から離れてしまった存在でもある。

 精神活動の中の思考は、感じてからだが動くという、至極自然な領域では妨げやストレスになるものと思う。武道でも華道でも、その道の名人、達人と呼ばれる人達は、無の境地というものを大切にしているというが、なんだかわかるような気がする。

 では、感じてからだがうごく、その領域へは、精神活動は介入すべきではないのだろうか。いや、そういうことではない。感じてからだが動く、その自然を感じとり精神活動へ反映させていけば良いのだと思う。そうすることで「想」は他の「息」「食「動」」と調和し、「環境」に適応したより良いバランスとなっていく。

 からだが歪み、なんらかの不調を抱えている人は多いが、その人達に共通するのは、からだの自然な動きも、思考による自分の動きも混同してしまっているという事。

 思考による動きを無理にからだにとおそうとすれば、反発もある。健康体操の類を行なっていて、かえってからだを壊したという話が後を絶たないのは、その為である。

 まずは自然法則に則り、からだを動かしてみて、その感覚をからだにききわけ、感じとる事。それなくしてバランス快復への道はなく、歪みを正す道もない。