東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

あるがまま、正直に・・・2。

おはようございます。

 

石田梅岩という人は、大きな開梧を2度体験しながら、その思想をより確かなものとしたといいます。

はじめの開梧も素晴らしいものだったが、天地自然、宇宙、大自然というものを、まだ自分の目で見ていたところがあった。つまり、自分からみてどうかという、対象性の含みがあった。だから、自分でもいまひとつ腑に落ちないところが残っていた。

しかし、2度目の開梧の時には、見ている自分を離れ、対象との一体化、大自然との一体化を感じ、見て考えるという、自我から解放され、自由になった自分に気づいたという。

 

梅岩は、この自然との一体感をつうじて開梧し、そこに「性」をみた。

性(本性)というのは、人間をはじめ全てのものが、生まれてくるときに天から授けられた理(原則)の事。言い換えれば、天地があらかじめ備えている道理(宇宙の摂理)の事であり、それは人間をはじめ、植物にも鳥にも魚にも、太陽や月にも、万物万象に与えられている。

 

梅岩はこうも言います。

「天は万物を生み出し、生み出されたものはおのずから養われるもの」

天は万物を生み出し、生み出されたものはおのずから養われるのだから、その天地自然が備えもち、そこから万物に授けられたあるがままの理を自覚し、その理に沿ってあるがままに生きていくのが生命にとって最善だという事。

万物の中には、もちろん人間も含まれ、人間にとっても天地自然は大いなる母であり、その摂理にもとづいて人の命はこの世に生み出され、その理に従って人の身体や姿形、仕組みや機能もつくられている。

人は疑いもなく、天の子であり、人は天と一体の存在である。

ですから、人間はそもそも正直な存在である、とも説いているのですね。

 

人間はそもそも正直な存在である。しかし欲の衣を纏うがために、その本来の崇高な性を覆い隠し、自身のもつ可能性を狭めてしまっている。だから梅岩は倹約を説き、本来の崇高な性を呼び覚ますよう提唱した。

操体を学び、実践している私達は、天の理に従って身体の姿形、仕組みや機能もつくられている「からだ」に注目し「からだにききわける」ということをとおして、自然治癒力、自然良能作用をはじめ、本来の崇高な性を呼び覚ますようにと提唱しています。

アプローチの仕方は違えど、どちらも大自然、またその生みの親を畏敬し、その子である人間に神性をみいだし、その無限の可能性を導き出そうということなんですね。

字に書いていない天地の書を読めと教えられた二宮尊徳、素直な心を提唱した松下幸之助、そして操体創始者橋本敬三、みんな言葉の表現は違えど、同じように真理を説いていると思います。

 

心とからだは、2は1であり1は2であり、2元的に捉えることはできません。

「からだにききわける」本来的には崇高な行いなんですね。「良心にききわける」「御霊にききわける」とも同義であり、心の根っこに問いかけるという含みもあるのです。

しかし、一般的にはまだまだ行き渡っていません。臨床の場でも、初めての方に「からだにききわけて」と言うと、「ポカ~ン」とされる事も多いです。それでも、体感をとおして何となくわかっていただけるようになるんですね。

その時どう思われようと、理に適う事をあるがまま根気善く。それもプロ根性だと思います。

 

参考文献 

魂の商人 石田梅岩が語ったこと

魂の商人 石田梅岩が語ったこと