こんにちは、佐伯惟弘第五日目のブログです。私の修行も1年経とうとしていました。秋穂一雄さん(東京操体フォーラム理事)が入門し、二人で三浦先生の臨床を見学するのが日課になっていました。そんなある日のこと、、、、
■睡魔
息を殺して静かに玄関のドアを開け、丁寧に靴をそろえ、音を立てないように治療室へ。もうすでに、臨床は始まっていました。秋穂さんがベッドの横で正座をしています。治療室はベッド1台置くと、その周りを大人一人がやっと歩けるくらいのスペースです。私の座る場所は秋穂さんの後ろしかありません。
臨床の静寂な時空を壊さないように、ゆっくりと座り、目線を正面に見すえました。そこで、私の眼に飛びこんできたのは、秋穂さんの肩の左右差。左だったか右だったか、、、とにかくどちらかの肩が角張って膨隆。
「あらら、、秋穂さんバイト(自転車の宅急便)で随分疲れてるな〜。」と心のなかでつぶやいていました。
目線を上にすると、ベッドの上では、30才代で中肉中背の男性が腰掛位の状態。そして、目をつむりこちらを向いています。三浦先生は、患者さんの後ろに回り胸郭に左手で渦状波、右手は肩を抱え込むようにされていました。そのまま全く動かない状態。
しばらくすると、気だるくなるような睡魔が襲ってきました。たまらず眼を見開き、我慢をするのですが、今回の睡魔は強烈。よくよく見ると、患者さんはもう完全にからだが睡眠状態です。先生も静かに頭(こうべ)を垂れ半睡眠状態、秋穂さんまでも、こっくり、こっくり。まるで、放射状の渦巻きとなった睡魔光線が、治療室を包み込んでいくようです。
私も、夢と現(うつつ)の境を入ったり来たりし始めていました。この状態になると、時間の経過は定かではありません。
どのくらい経ったでしょう?ふとベッドに眼を向けると、患者さんが、先生の両膝に脱力しきって横たわっています。先生は、患者さんを両手でしっかりと優しく抱きかかえ、ややうつむきかげん。その光景たるや、慈悲に溢れた動く彫刻。あまりの神々しさに
と我を忘れて、その静寂きわまりない「ピエタの聖像」に見入りました。
<中世イタリア・ルネッサンスを代表する芸術家・ミケランジェロ(1475〜1564)が、24才の時、制作したサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」は彼の代表作の一つ。「ピエタ」はイタリア語で慈悲を意味する言葉。この言葉通り、死骸となり横たわったイエスキリストを、聖母マリアが、慈悲の心で抱き上げ見守っている姿が、痛々しくも神々しい。>
私は、実物の「ピエタ」は見たことがなく、比較するのはナンセンスなのですが、目の前で展開されている「ピエタの聖像」の方が、はるかに神々しいと思ったのです。なぜならば、それは静止と動きの狭間で、微妙な快(生命感覚)が織りなす調和美であり、慈悲にあふれた生命体そのものだったからです。
その生命体から発する波動は、見る者をふたたび睡魔の世界へと追いやります。記憶のない時空から覚めたとき、生命体は新たな息づかいをしていました。
ピエタから一転して、若州一滴文庫(水上勉さん主催)で見た竹人形文楽。
<水上さんは、地元福井県大飯町に、竹人形文楽(竹細工師、岸本一定氏制作)が上演できる日本家屋を建て、ご自身の蔵書2万冊を寄贈。水上文学と竹が生み出す見事な生命観を演出しています>
もの言わぬ能面のような竹人形は、遣い手と黒子により、うねるような生命を吹き込まれ、時には人間以上の喜怒哀楽を表現します。
竹人形になりきった患者さんは、遣い手である三浦先生にゆっくりと操られ、時に竹人形が遣い手を操り、見ているはずの秋穂さんと私は、黒子としてその空間を演じていまいした。その場の4人が何かに揺り動かされ、一体となって浮遊している。あるいは、何ものかが天から降りてきて、我々を包み込み浄化されているような感覚に陥りました。
「一体、なんなんだ!これは?」
などと思いながらも、どこからともなく訪れてくる睡魔に身を委ね、また、こっくり、こっくり。
いつのまにか、臨床は終わっていました。
「いや〜、すごいものを見せていただきました。なんだか、からだが随分軽くなったような気がします。」と秋穂さんがニコニコしながら、軽くなった肩を回しています。
私は、思わず眼を疑ってしまいました。あれほど膨隆していた秋穂さんの肩が、左右差がなく穏やかになっているのです。秋穂さんは、見ながらにして快(生命感覚)が織りなす波動をからだで受け止め、それに委ねていたのでしょう。そして、無意識のうちに竹人形文楽の黒子のように自ら演じ、浄化していったのだと思います。
「あの、、、秋穂さん、実際、、、あのね、、よくなっているよ、、、うん。」
ここまで言うのが精一杯。
本物の芸術を鑑賞・体験したあとは、我を忘れ、ただ呆然とするだけのようです。そして、私はいつしか心の中で叫び続けていました。
「操体は、生命体そのものが織りなす芸術なんだ!」
(つづく)
佐伯 惟弘