東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

”喜怒哀楽” 『哀!哀しきスパルタンXとMoon Walk』

喜怒哀楽 第三弾、です。私にとってここ最近の“哀”は同年代の男性諸氏であれば間違いなくご理解戴けると思うのですが三沢光晴氏の死去』です・・・
は?とか言わないで下さい、何が哀しいかって同年代の企業戦士が職場で事故死と言いますか、過労死が正解かもしれませんが、これってかなり身に詰まる哀しい話だと思いませんか?

明らかにオーバー・ワークが原因であり、採算ギリギリで明日をも知れぬ零細企業の社長が動かない身体に鞭打って最前線で戦っている姿は涙無しでは見られません!
今、プロレス団体(プロ格闘技団体)で金銭的に余裕があって興行している団体など、無いに等しいです。
UFCK-1などの格闘技はゴールデンタイムの地上波やPay Per Viewでそれなりの収入を上げているのでしょうが、ことプロレスにおいては三沢氏のノアなどはとんでもない深夜枠でギリギリ見られる位で、ヤンバルクイナかノアかって言う位(嘘です)貴重なものでした。


頸髄離断(けいずいりだん)が死因だそうです、急降下バックドロップを受けた際に充分な受け身をとることが出来ずに、帰らぬ人となられたようです。直後にはレフェリーの呼びかけにも応じていたようですが、その会話が最後の言葉となってしまったようです。
三沢氏を形容する言葉に“受け身の天才”やどんな攻撃を受けても立ち上がってくるその姿にリスペクトを込め“ゾンビ三沢”などとも形容されていました。
そんな受け身の天才が受け身を充分にとれずに、亡くなるのは何て皮肉なんだろうって思ってしまいます。
前日から体調不良で熱があったとか、当日も頭が痛いとスタッフに訴えていたとか、色々な話を聞けば聞くほど、身も心もギリギリの状態で仕事をしていた状況が想像出来てしまい、尚更哀しさが込み上げてきます。


プロレスの話をすると私の友人などは眉をひそめ、「K-1とかと違ってガチじゃ無いんでしょ」などと言う輩がいますが、私から言わせれば“一緒にするな!”と言いたいです。K-1にはK-1のスピーディーな展開であるとか、立ち技での解りやすい勝負であったという部分での評価がありますし・・・

プロレスに関して勘違いしてほしくないのは“ジャンル”が違うということです。私はプロレスとは“究極の思いやり”が土台にあるスポーツだと思います。

『相手の持っている良さを最大限に引き出しつつ、自分の良さとブレンドし昇華させる最高の肉体表現芸術』だと。。。
そう!プロレスとは表現芸術であり、芸術家がキャンバスに自分の感じたモノを感じた色で描くのと同じようにレスラーはリングというキャンバスに
自身が編み出した“技”という色を相手の出してくる色と合わせて作品を作り出す“アーチスト”なのです。

この感覚を理解せずに単純に相手の技を受けに行ってるからインチキだとか、あんな若い選手と年をとった選手がまともに勝負できるわけ無い!


などという浅いことを言うと、ピカソの絵を見て「何だ この子供の落書き・・」と言っているのと同じなのです。
確かに私も子供心にミルマスカラスのフライングボディプレスとかトペスイシーダを観ながら「あんなの避けれるじゃん!インチキだ!」
などと浅はかな事を言っていたので微妙ではありますが・・・

そう考えていくと三沢光晴氏”の様な『受け身の天才』は素晴らしいアーチストの一人だったと言えると思います。
技を受けるためには受けとめる事が出来る身体を作らなければならず、よくプロレスラーは脂肪が多すぎるとか言う人がいますが、
それも表面だけしか見ていない浅はかなコメントであり、K-1などの格闘技の場合は三分で3R〜5R(最大で15分)を動ける身体を作ろうとすればいい訳で、
短期決戦が可能な体脂肪率を落とした筋量重視の身体であり、魚で言えば白身の鯛です。車で言えば燃費の悪いスポーツカーですね。だからこそ見た目は筋骨隆々で格好良く見える訳です。

プロレスラーは最低でも30分1本勝負(タッグの場合もありますが)〜モノによっては無制限と体力消費も考えながら試合を行う必要があり、
魚で言えば赤身のマグロちゃん、車で言えば(しつこいフレーズですが)ハイブリッドカーってとこでしょうか・・・だから多少スタイリングがでかくても、必要性があるということなのです。


後、プロレス団体が格闘技団体と圧倒的に違うのが、年間の試合数です。プロレスは格闘技団体の様に数ヶ月に一度の興行ではなく、
年間に数百試合もの試合を消化せねばならぬお家事情があり、地方巡業やら自主興行やらと正にK-1トヨタなどの一流企業だとすれば、
プロレスこそが、自らが営業に回り出張もする、今の現代日本を象徴するかの如く中小の零細企業なのです。

中小の社長は体調が悪いからと言って簡単に休業も出来ず、自社に余りメリットの無い不本意なカード(取引)でも義理人情の狭間で組まざるを得ない場合もあったり、
正に満身創痍、特に三沢氏の様な社長レスラーは経営で頭を痛めつつ、レスラーの仕事もこなすという肉体的にも精神的にもギリギリの所で生活をしていたのだと思います・・・
その様な極限状態の中で今回の事故が起きた訳で、労災か過労死を認定してあげたい位です・・・46歳って余りにも若すぎる早過ぎる死です…


これ位で“哀”を終わりにしようと思っていたら、更に追い打ちをかけるようにKing of Popことマイケル・ジャクソンが突然亡くなってしまいました・・・
三沢氏同様、結構凹みました・・・特に大好きでコンサート行ったとか着メロにしているとかでは無いのですが、確実に私の青春の一ページにマイコーはいましたので、
それを考えると書かずにはいられません(因みにアルバム等はデビュー当時からのも全部持ってます・・・)。。。
マイコーの死は三沢光晴氏以上にボディブローの様に効いてきて、死亡と聞かされた日は呆然としてましたが、2日目以降は何だかとってもブルーに成ってしまって、
思わず車ではマイコーヘビーローテーションと成っています・・・


マイコーとの衝撃的な出会いは多分、MTVで見た“Beat It !”のPVだった様な気がします・・・先ずビックリこいたのは、あの切れのいいダンスでした。
歌が上手いのも然る事ながら、あの頭のてっぺんから足先まで神経の行き届いた、ターンやリズムの刻みなど繊細なダンスは魅了されました・・・

今となっては見る影も無いのですが、私も10代後半から20代前半にかけて当時流行ったブレイクダンスに青春?をかけていた時期がありました(今を見ないように)ので尚更、ショックが大きいです・・・

マイコーと言えば代名詞は“Moon Walk”ですが、Billie Jeanで最初に見たムーン・ウオークには思わずあんぐりとしてしまい、家の窓に姿を映しつつ
ソックスに穴が開く位に練習したことを昨日の様に覚えています。

そんなマイケルのPopなダンスに影響を受けた私がブレイクダンスを始めるきっかけとなった1984年の映画“Breakin’(邦題:ブレイクダンス)”には
マイコーのダンスの師匠でMoon Walkマイコーに教えたPop’N’ Taco(ポッピン・タコ)も出ていますので、マイコーのダンスの原点はこの映画にあると言っても過言ではない

素晴らしい作品なので、ダサイファッションは洒落だと置いといて、レンタルビデオ屋にヒョッとしたらあるかもしれないので、追悼の意味も込め見て下さい・・・


歌やダンスって自身の生きて来た履歴書的なものがあって、ある曲を聴くとジワッと涙が滲んできたり、酸っぱい気持ちになったりと、まるで細胞の中にインプットされているかの如く、
身体が反応してしまうのも面白いことだなぁと感じます。


音楽療法じゃないですけど、その人にとって心揺さぶられる曲をその時の心や身体の状態に併せてチョイス出来れば、
これは最高の“快”になると思います。。。

こんばんあたりはスパルタンX”(三沢光晴氏の入場テーマ)を聞きつつ風呂に入り、締めに“Man in the Mirror”でも聴きながら眠ります。。合掌