いやぁ、いよいよ最終日と成りました、ヴィジョンSの締め切りに重なるという素晴らしい巡り合わせとなり、苦しみに苦しみ抜いた一週間でした、気合い入れて最後締めたいと思います。
”喜怒哀楽”最後はお馴染み“楽”ラクですねぇ実を言いますとこのラクっていう言葉は操体と縁があった方ならば必ずと言ってよいほど避けては通れない言葉の一つと言えると思います。
これは操法だけでは無く、学ぶという課程においてもしばしば出て来るキーワードなので、思い当たる節がある人もいらっしゃると思います・・・
私も最初にいわゆる“操体法”を知った時には『辛い方から楽(痛くない)な方へ』のいわゆる“二極対比”の“第一分析”操体でした。
当時、操体を知るきっかけとなったのは、既にいわゆる“整体”で開業していた私が色々なクライアントに施術を行う中で、整体では“間に合わない”クライアントが非常に多いことに気付き、
このままでは施術が行き詰まるのではと危機感を抱いていた時でした。
“求めよ されば与えられん”ではないですが、そんな時に偶然話す機会のあった
整体時代の兄弟子に「俺は整体と併せてこんな事をやっているよ」って教えてもらったのが、操体法(もっとも本当の操体ではなく、操体擬きでしたが)でした。
正直、最初の感想としては『へぇ〜こんな簡単なことで本当に良くなるの?』と半信半疑でした。
ですが、疑いながらも藁をもすがる思いで、早速本を購入しました。
安易にありがちなHow to本ぽい、やり方が書いてある『腰痛に効く○○操法とか肩こりに効く○○操法』とかが載っている、実技書ちっくな本でした。
今ならば操体は“症状疾患別にみない”のが特長だ!と言えるのですが、何も知らない当時の私は“症状疾患別”に書いてある本を購入していました。
この心理こそ、正に“楽”なんですねぇ、症状疾患別にみる方が楽ですし、この症状にはこの操法って決まっている方が楽に決まっているので目指せ!“楽ラク操体”ってところでした。
まずは取り敢えず○○痛にはこれって書いてある中で、ダブっている操法があるので、これは押さえておこう!みたいな感じで、本に書いてある幾つかの操法を覚えていきました。
幸いにと申しますか、運が良かったと申しますか・・・この必勝!“楽ラク操体”が見事にまぐれ当たりして、腰痛で来られていたクライアントの方が楽になった!と言われ、これは使える!って感じになったのです。
今考えると空恐ろしいと申しますか、完全なる“ビギナーズ・ラック”で結果が出たという、よくある話でした・・・
が!楽ラクと思いつつも、何でこんな簡単(楽)なことであんなに悩んでいた、腰痛症状が解消出来たのだろうか?と疑問が湧いてきました。。。。
昔から疑問が湧くとそのままにしておけない性格だったので、インターネット上にて謎の“操体法”についてあれこれと調べてみました。
何だか色々と書いてはあるけれどもイマイチ要領を得ないと言いますか、まどろっこしい感じで、核心部分がボケていたのですが、一つのサイトに目が留まりました・・・
ハイ、お察しの通り私の師匠である畠山常任理事の操体医科学研究所(当時は操体Practitioner TEIZAN) TEIZANのサイトでした。
ラッキーなことに講習をやられているとのこと、しかも数回の講習で資格を戴けるとの事でした(考え安易です)ので、これは再びラッキーと早速申し込みをしたという楽ラク野郎でした。
これが、特に私のような遠方受講生が陥りやすい『楽に操体の資格が取れますよ』症候群です。
冷静に考えれば、数回の講習で資格が取れる訳もなく、ましてや一つのものを学ぶ際に数回で学べる筈もなく、遠方受講生の学びの第一段階はここでふるいにかけられます。よく島根でも操体を学んでみたいと言われる方がいらっしゃいます。
私はその際に必ず言うのが『先ず、うちの師匠の元で学んで下さい』と言います、そうすると大概の方は「師匠さんはどちらの方ですか?」と聞かれ「東京ですよ」と爽やかに答えると、殆どの方は「と・・東京ですか」と口籠もり「福田さんが教えて下さいよぉ」などと甘えてきます。
そんな性根の奴はどう考えても長続きする訳もないですし、仮に教えたとしても良い所だけを摘んで“サヨナラ”するタイプですので「是非、又、機会があったらお話をしましょう!」と元気よく握手でもして別れれば、二度と会うことも連絡して来ることもありません・・・
距離というハンデは“熱意”という必要不可欠な要素がなければ、埋めることは決して出来ません。
話が横道に逸れましたが、そんな私自身も最初は楽ラク気分で畠山常任理事の講習を受けに行っていました。
ところがどっこい、本で見るのと実際にやってみるのとでは介助・補助のかけ方、力加減が全然違うことに気付きました。
楽ラクどころか“とんでも難し操体”だということを遅ればせながら理解しました。
そして実際に操体を臨床で本格的に使うようになって気付いたのは二極対比の古典的“第一分析”で行える臨床の少なさでした。
実際に私の所へ来るクライアントや、動けなくて出張で出かけるクライアントにしてもその殆どが“第一分析”では間に合わないクライアントでした。
“楽ラク”って事は所詮“楽”しか通していないので、身体も楽なそれなりの答えしか帰してくれないので、結果も応じたものでしか有りません。
第二分析“一極微”で一つ一つの動きに対しての感覚をききわける段階に入ると、もはや“楽ラク”などと言うキーワードは私の頭から消し飛んでいました。
確かに“第一分析”に比べ一つ一つの動きに対してききわけを通すのは根気のいる事かもしれませんが、本質が解れば逆に“第一分析”よりも断然選択肢が多く、可能性が拡がっていくのです。
仮に“第一分析”と同じ動診を通し感覚がききわけ難かったとしても、ちょっとした操者の創意工夫で“快”に変えることが出来るのも“第二分析”の魅力でも有り、
第一より第二の方がより実戦的であり、我々臨床家は結果を出して“なんぼ”の世界に生きていますので、必然的に第二分析が中心の臨床と成って行きました。
そして今、我々実行委員の殆どのメンバーが、更にクライアントの本質に迫る臨床である“第三分析”での臨床へとシフトしつつあります。
我々人間の最大・最後の宇宙である“皮膚”へのアプローチをしていく“第三分析”こそが様々な疾病を抱えていらっしゃる方への救世主と成り得ると確信し、日々精進しています。
面白い事にこの“第三分析”ほど楽ラクに見えて難しいものは無いと言うことです・・・第一分析に始まり第二分析までを“動”の操体とすれば、
この“第三分析”は間違いなく『静』の操体とでも言うべき静かな汗をかく操法です。
この第三分析に関しては操者が操法を行っている所をみますと、とても簡単に見えるのだそうです。
現に私の所に来て戴いている女性クライアント同士で、何か簡単そうに出来そうだから、お互いにやってみようということになり、見様見真似で出来るだろうと思いやってみたそうですが、
結果は分かりきっていますが、何も起こらず、何で?だったそうです。
何でもそうなのですが、見た目に簡単そうなモノほどやってみると難しいモノなんですよねぇ・・・
これって橋本敬三師の第一分析とよく似ている所があるような気がします。
三浦理事長の話を伺うと、橋本先生の介助・補助は誰にもマネ出来ない絶妙な“名人芸”だったのだそうです。
触れる手の優しさも然る事ながら、強からず・弱からずの微妙な感覚は中々、マネすることが出来ず、橋本先生が臨床を行われていた頃に出入りをしていたお弟子さんでも、
それが本当に解っていた方がどれだけいたかは疑問なのだそうです・・・
“楽”に見えるモノほど実は難しいというのを少なくとも我々臨床家は腹の底に入れておくべきではないかと思います。
今ある地位や名誉に安穏とし、日々の精進を怠ってしまえば、いくら素晴らしいモノを手に入れたとしても、やがて錆び付き、自分のいい様に解釈してしまい、
先達が血と汗の中から生み出してきたモノですら見失ってしまう事と成ります。
橋本敬三師が託された操体の未来は決して、変化無き完成の世界などではなく、決して変化を恐れない変わりゆく操体であり、
常に臨床家の立場でクライアントにとって何がベストなのかを追い求めていくものであり、臨床家にとって都合の良い操体にしてはいけないのです。
師匠である三浦理事長は24時間操体の事だけを考えて生活をしている様な人です。いつお会いしても変化し続けていらっしゃる新鮮な驚きがあります。
そこから感じられるのは義務や仕事だからとかではない、本当に橋本敬三を愛し、操体を愛しているのだという熱い情熱と静かなる闘志を常に感じます。
私たち東京操体フォーラムの実行委員はそんな師匠に追いつけ追い越せと意気込み、日々精進しているそんな集団です。
操体を橋本敬三哲学を真剣に学びたい1人でも多くの方たちとの出会いを楽しみに、秋のフォーラムへと突入して行きたいと思います。
一週間本当にありがとうございました。いよいよ来週からはみなさんお楽しみの三浦理事長の出番です!宜しくお願い致します!