東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

お好み焼き


初めまして。今回からブログに参加させていただきます、山本です。よろしくお願いします。
大阪からこの東京操体フォーラムに参加させていただいています。大阪で暮らすようになって15年あまりになりますが、「ネイティブ大阪」ではないので未だにビックリしたり戸惑ったりしながら暮らしています。

最近では良くTVでもネタにされているのを見かけますが例の「お好み焼き定食」には最初ぼくも度肝を抜かれました(笑)。でも恐ろしいもので慣れてしまった今ではお好み焼きがあると、ご飯が食べたくなりますが(笑)。それでも「そばめし」にはまだ手がでないんですよね。そこまでガンバって一緒に食べなくてもいいんじゃないか、と。食べたらウマいと思うんでしょうが。
このお好み焼きという食べ物はよく考えると、キャベツやら小麦粉やら卵やら山芋やらなんやかんやが一緒くたに混ざっていて、どれが主役ということもない。その上でさらにソースとマヨネーズの味もミックスされて口の中でいろんな味がするという、ホントは何を食べてるんだろうかと思いながらもお腹はいっぱいになるという不思議な食べ物です。
また大阪の人はマヨネーズが好きですね。大阪に住むようになってすぐの頃、定食屋で野菜炒めを頼んだら「マヨネーズはどうしますか?」と訊かれてだいぶ考えてしまいました。この人は何を言ってるのだろうか?もしかして野菜サラダと間違えてるんじゃないだろうか?「え、どういうことですか?」と聞くと野菜炒めにマヨネーズをかけて食べるかどうかを本気で聞いているらしい。ウマかったですが(笑)。でもマヨネーズの味なんですよね。唐揚げにもマヨネーズがよく付いてきます(ウマいですが)。大阪に限らず今はマヨネーズ大好きなひとが多いですよね。直接ご飯にかけちゃったりして。あれにはどうしても踏み切れないんですが。


今年の操体法東京研究会定期講習でも三浦寛先生がお話しされていましたが、人間だけが加工されて味付けされたものを食べているんですね。

「人間は食べ物に必要以上に味をつけることを身につけてしまいました。そのために大脳を異常に発達させた結果、本能を上まわる欲望を身につけてしまったのです。」(三浦寛著『快からのメッセージ』より)

快からのメッセージ―哲学する操体

快からのメッセージ―哲学する操体

確かにウマいんです。様々な味付けで工夫をこらされた料理を能天気に「ウマいなぁ」なんてニタニタしながら食べてるんですが、はたしてそれがからだに、イノチに必要なものとして他のイノチをいただいているということなんだろうか、というとそうじゃなかったな、と思います。楽しみとか憂さ晴らしとかそういう気持ちの事が、喰うということにも余計なフィルターをかけていて、肝心なところよりも余計なところに重点がおかれている。肝心なところに向き合わないで済むように周りのものを刺激として利用している、その一つ一つはよく見ればありがたい一つのイノチなのに消費するものとしてためらいなく利用してしまう。


そう思うと生活している他のことも全部そうなんですよね。操体での皮膚へのアプローチにおいても「刺激」と「接触」の違いについてよく三浦寛先生からお話しがありますが、生活の中の「刺激」も一緒で機械的には心もからだも動かされると思うんです。でもイノチの力が内から湧き出てくるということには、なかなか結びつかない。だから次々に「刺激」を探し求めるようになってしまう。自分が求めている物が「幸せ」だったのか「きもちのよさ」だったのか「自由」だったのか「神サマ」だったのか。それとも実は「刺激」なのか。いつの間にか外から来る「刺激」が無いと生きている感じがしない。そして内から湧き出るものは枯れていってしまう。もう生きてるかどうかも「刺激」が無いとわからない。
僕は筋金入りのヘッポコなのでこの「必要以上」に弱いというか「必要以上」の「以上」ばかり求める、そういう生き方をしてきました。なんでかなぁと考えると何が「必要」なのかが分かっていないんですね。だからとにかく沢山ないと怖くてしょうがない、なんとかしがみついて減らないかどうかずっとビクビクしている。なんでもかんでも欲しがって何も手放したくない。こうなってしまうとミソもクソも一緒なんですね。なんでも「刺激」に感じてしまう。大事なものをつまらないと侮ったり、つまらないものをアリガタがったり。でも人に、生きる事に本当に必要な事は何なのかって出来るだけ考えないように生きてきました。何かを手放す事になるので。
「喰って行かなくちゃ」という人もいる。「結局、金さ」という人もいる。
「愛」だとか「幸せ」だとか「自由」だとか「きもちのよさ」だとか。
「金じゃないさ」という人。「愛なんか存在しない」という人。
価値観の多様性だとか、どうでもいいやとか、関係ないぜとか。
だいたいみんなが「愛」とか「幸せ」とか云ってるのは本当に「愛」なんだろうか、「幸せ」なんだろうか。
俺は実際本当に生きてるんだろうか、なんて思ったり。
そのうち元来た道がどっちだったか、これからどっちに行ったら良いのか判らなくなっていて。
本当に困ってたんですね、操体に出会うまで。


この間、上島珈琲のテラスで三浦寛師匠に「山本、生命の素材とは何か、命にとって必要な素材とは何か、その事を学ぶんだ。」と言われました。そう言われながら師匠は太極図を描かれてたんですが。ヘッポコ弟子はよく分かっていないのですが、なんだか勝手に涙が出てました。
お好み焼きの話がエライことになってしまいましたが、そう言えばお好み焼きって太極図に似てますね(笑)。
こういうヘッポコぶりしかお話し出来ませんが、一週間お付き合いください。
それでは、また明日。