意拳そして太氣拳で大切にする鍛錬が、立禅と呼ばれる鍛錬です。
ただ立つその行為を続けると、何故強くなり、健康になるのか。
ただ立って強くなったり、健康になったり出来れば楽な物です。
もちろんただ立つだけでは、1億年経っても何も変わりません。
立つという事で使う筋肉は無数にある。
立つ事から始まる、動きも無数にある。
その動きを総て漏らさずに行うには、あまり動かない方が、上手くいく場合が多い。
だから立禅は立って動かないようにして、身体を内側からまんべんなく動かす。
実際にはホンの少し動いている。
実際には身体全体が流れるように皮膚の下で動いている。
だから武術では氣功を大切にする。
皮膚の下の動きが、動きを滑らかに無駄なくする。
無駄が無ければ力は強く早くなり、その繰り返しは身体を健康に整える。
ただ我慢して立っていても何も起きる筈がありません。
操体のたわめの間に近い感覚の動きが、身体の中で重厚に常に行われるのが
立禅の鍛錬です、
もう1つただ立つ中で行う事が在ります。
意とは想念みたいなものでもあります。
人の心は動く、心は移りやすくもある、そこに人の悩みもある。
そこを上手く使う事で、大いなる力を得る事も可能となる。
人の心は移ろう、そして動く。
動くという事は、自分で動かせるという事でも在る。
操体でも想念という物を大切にしています。
明日は心を動かすやり方を書こうと思います。