東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ことのは

私が操体とご縁があって、はや10年を越え、操体と出会う
前と今と何が大きく変わったのかをつらつらと考えると、
『考え方』であろうと思います。
そして、その都度色々な人たちから、動機付けになる様々な言葉をもらっています。

操体と出会うまでの自分はと言えば、心配性、人を見たら泥棒と思え系の発想で、
委ねるということが出来なかったように思います。いつも何かにせっつかれているような、
余裕の無い日々を送っていました。
当然仕事にもムラがあり、人生の殆どを営業職で過ごしてきた私にとっては
致命的だったような気がします。
絶好調!の時と、仕事する気ねぇなぁあ〜って状況が頻繁に逆転するような、
そんな毎日を過ごしていました。
当然、結果もそれに見合った結果しか得られず、
悶々とした生活をただただやり過ごしていました。

夕焼けを見ると何だかもの悲しく、俺ってこの先どうなるんだろう?このまま、
定年を迎えダラダラと日々を過ごすのか?ゲートボールを定年してからの20年以上も
出来ねぇぞ〜などと、いつも考えていました。

そんな私に転機が来たのは35歳の時でした。取引先と自社との関係の中でどうしても
納得のいかない部分が溝となり、これ以上サラリーマンは無理かと退社し、それ以降、
半年間は農業をしつつ心のリハビリ的生活を過ごしていました。

職安に行ってもピンと来る職業も無く、ドン詰まっているときに、
三日間同じ夢を見るという不思議な体験をしました。ログハウスっぽいような建物の中に、
三台の施術台、白いシーツがかけてあり、清潔感のある何となく癒される様な光景がそこにはありました。
さすがに三日目には、がばっと布団をめくって起きて、寝ているのか起きているのか分からない朧気な意識の中で、
ふと、施術家であれば自分の身一つで出来るじゃないか?
クライアントからダイレクトに喜んでもらえるじゃないか?良くも悪くも自分で全て自己完結出来るのではないか?
と様々なキーワードが浮かび、翌日には嫁に、「ごめんけど、俺、施術家になるわ」と言っていました。
続けざまに「暫くは食えないと思うけど、勘弁してや」と嫁に言うと、
「へ?あんた一人位私が食わしてあげるよ!」「まぁ、その代わり今度はちゃんとやってよ」と言ってくれました。
今でもあの時の一言で嫁には頭が上がりませんし、あの一言が間違いなく、私の臨床家人生を決めた
大いなる、ことのはだったと思います。

そして、整体院として開業後、Web上で畠山先生との出会いがありました。
整体院として開業後、臨床家としてクライアントとの向き合い方に行き詰まりを感じ、
迷っていたときに、操体法という自分の窮地を救ってくれる、未知なる施術法に一筋の光を見つけました。
痛みや辛さを抱えて来るクライアントに対して、自分が何とか出来ないか?
どうやったら痛みがとれるか?辛い症状から抜け出すことが出来るのか、
色んな施術法を探す中でたどり着いた場所でした。しかし、そんな私の気持ちを分かってか、
暫くしたときに畠山先生から言われたのが、操体はなおすことまで関与しちゃ駄目だよ」
「なおすことはからだに任せればいいんだよ」という言葉をもらいました。
この言葉を聞いてから本当に心が楽になりました。

そう、心が楽になったのです。何と縛りの中で自分自身が臨床を行っていたのだろうかと、
改めてこの言葉をもらったときに感じました。
神でも無いのに人の痛みをなおそうなんて、何ておこがましくも、
うぬぼれの中で人のからだをみさせてもらっていたんだろうと、
この言葉でやっと操体臨床家としての一歩が踏み出せた一言だったと思います。

今、私自身、師匠と呼べる方を50歳前にして、巡り会えたということは幸せであり、
未だにこれからの進むべき道を照らし続けて下さる方と、巡り会えたことに感謝です。
ホテルオークラの喫茶で小汚い格好のままで畠山先生に連れられ、
始めて三浦先生とお目にかかったときも、いきなり怒鳴られたことを昨日のように覚えています。

三浦先生からは数多くの言葉を戴いており、いつ見ても心の奥に刺さる言葉がたくさん、
ちりばめられています。
先生にはフォーラムの時や、ことあるごとに色紙を戴いており、自分の居間の壁に貼ってあり、
常に目に入るようにしています。その中でも、今の私にはこの二枚の色紙が心に響きます。
『人生をたくらむな 搾取するな 無条件で受け入れよ 条件をつけると 不平不満がわいてくる』『今しか出来ないことがある その時をのがすと 一生その機会を 失うことになる』の二枚です。

何故今、この二枚かは分かりませんが、その時の心境や思いとリンクしており、
私の心を支えてくれる、ことのはがあるということは本当にありがたいことだと、
最近つくづく思うようになりました。言葉は人に勇気を与え、
自身も周囲の人も巻き込んで大きな渦を作る力を持っています。

私自身がことのはで何度も助けられたように、これからは指導者としても
数多くの方々とたくさんの言葉を交わし、私が今迄師匠から戴いたものを
今度はお返しする番なんだなと、感じています。”ことのは”はそれそのもの
がイノチを持っており、同じ言葉でも語る人によって、伝わり方が大きく変わっていきます。
言葉を統制することを旨としている操体だからこそ、ことのはを噛みしめ、伝え続けて行きたいと思います。