東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

愛 2

 愛には多くの味わいがあり、多くの次元や多くのニュアンスを持っている。愛というのは単一の事柄ではなく、非常に豊かなものである。それには多くの局面があり、多面的だといえる。それは多くの面を持っていて、そしてそれぞれの面が相乗的に豊かさを与えている。まるでダイヤモンド鉱石のようであり、途方もなく豊かなものだ。

 英語の「love」という言葉はすべての愛を表現しているわけではない。それは単一の言葉でしかない。しかし古代の言語ではすべての愛のために多くの言葉を持ちあわせていた。というのも、現実にあまりにも多くの愛が存在しているからである。そういう意味において英語のloveはとても貧弱な言葉だとしか言いようがない。

 なぜなら、我々はマイカーだって愛することができるし、それに自分の女性や男性を愛し、自分の家を愛し、祖国を愛し、自分の子どもを愛し、自分の母親を愛している。ところが英語ではloveというたった一つの万能の言葉を使ってすべての愛を表現しているのだ! 
また愛煙家においては特定の銘柄の煙草を愛している。このように愛は多くの面を持っていることから、このloveという言葉だけでは非常に貧弱だと言わざるを得ない。というのも愛はそれほどまでに多くの面を持っているからだ。

 子どもを愛するとき、我々は違う愛し方をするが、それには情熱がない。それは男性が女性をあるいは女性が男性を愛するときと同じような愛ではない。また自分の母親を愛するときのそれとは全面的に違っており、そこには敬意があり、深い感謝がある。

 ところが男性が女性を愛するとき、それはまったく違っている。そこには大変な烈しさがあり、殆んど狂っているようにしか見えない。それはその男性が母親を愛するやり方とはまったく違っている。我々はまた友達を愛するが、これも全面的に違っている。それでもそれは愛情だ。けれども同じものではない。この単一の言葉loveの中には多くの言葉が隠れている。

 我々はこういった愛の次元全部の中に入って、愛のすべての面を知らなければ、愛に関する理解はそれだけ欠如することになる。だから人は愛のすべての局面と、すべての微妙な違いを知らなければならない。