今回の大テーマは 「アプローチとメッセージ」 である。
これを受けて初日は、真実へのアプローチとそのメッセージという 「ソクラーテスのクライマックス」 を題材にしてみようと思う。
時代は二千数百年遡ったギリシャ、アテネの裁判で神を冒涜した罪で毒を盛られたソクラーテスが今まさに死のうとしていたときのこと。 そのとき、ソクラーテスの弟子たちは泣き叫んで、涙を流し始めていた。 そこまでは普通にごく自然なことだった。
そして、弟子たちはソクラーテスの葬式のことについて心配をし始めた。 弟子たちはソクラーテスに訊いた。 「どうしたらいいのでしょう?」 ソクラーテスはこう応えた。「私の敵は私を殺すために毒を持ってきた。 そしてお前たちは私を埋める計画を立てている。 となると誰が私の友で誰が私の敵なのかね? 双方とも私の死を気にしていて、私の生に関わっているものは誰もいないようだ・・・・・・」
それならば、と、ソクラーテスは弟子たちに言った。 「泣くのはもうやめなさい! 生に興味がないのなら、私の邪魔はしないで欲しい。 どうか私に死を探らせておくれ、だから気を散らさないで欲しい! 泣くのは後でいいではないか、私はもうすぐいなくなる、いまの今は、私に死が何であるか探らせてほしい。 私は全生涯にわたって、死の真実に足を踏み込むこの瞬間をずっと待ちわびていたのだ」
ソクラーテスはベッドに横たわり、死が何であるのかをじっと見守っていた。 死が何であるのかを深く探っていた。 そして、ソクラーテスは弟子たちに向かって言った。 「私の足が痺れてきた、が、私は依然として前と変わらぬ私だ! 何ひとつ私から奪い去られてはいない。 私が実存している感覚は前と同じだけトータルで変わりない、が、足はすでに終わりを告げている」
それから 「私の脚も駄目になってきた。 だが、私は同じままだ。 私自身が少しでも減っているなどということはない。 私は全くトータルなままである」 それから 「私の胃が痺れてきた。 私の腕も痺れてきた」 だが、ソクラーテスはとても興奮し、恍惚としていた。
ソクラーテスは言う、 「だが、私は依然としてこう言おう、私は同じだ! 何ひとつ私から取り去られてはいない。」 そして、ソクラーテスは微笑み始めるとこう言った、「この調子だと遅かれ早かれ私の心臓をも奪うだろう。 だが、それでも私を奪うことはできない!」
そうして、「私の手も駄目になった。 もう、心臓も弱まっている。 そして、これが私の最後の言葉になるだろう。 私の舌が痺れてきているからだ。 だが、言おう、覚えておきなさい、これが私の最後の言葉だ。 私は依然として同じだ! そしてトータルなままだ!」 これはソクラーテスが生のクライマックスに行なった、死へのアプローチである。
まさに受胎の瞬間からいまわの際まで人間はひとつのアプローチなのである。 真実の探求!・・・・・・そして、もし我々が真実を探し求めていないのだとしたら、もうすでに人間ではない。 そのとき、我々は人間を逃してしまった。 そのとき、我々は外からは人間に見えるかも知れない、が、それは人間じゃない。
我々の人間性は見かけだけでハートの中ではそうではない。 そのような見かけにはだまされてはいけない。 というのは、鏡を見れば自分が人間だとわかるだろう。 しかし、それは人間であるという何の証拠にもならない。 我々のアプローチが募ってその全エネルギーが、アプローチの中へと転換されるほどの高みに至らない限り、我々は人間にはなれない。
それが他の動物と人間との違いである。 動物たちはただ生きている。 が、動物たちは決してアプローチしたりしない! 動物たちはただ単に生きるだけで、真実にアプローチすることはない。 今まで 「真実とは何か? 生とは何か? 生の意味は何なのか? なぜ自分はここにいるのか? 自分は何処から来ているのか? どんな目的地に定められているのか?」
というようなアプローチをしている動物などまったくもって存在しない。 一本の樹も、一羽の鳥も、一匹の動物も、この大きな地球も、こんなことをアプローチしたことはない。 このとてつもなく巨大な空であっても、一度としてこんなことをアプローチしたことはない。
そこに人間の永遠の栄光がある。 人間はとても小さいが、空よりも大きい。 なぜなら、人間の中の何かがユニークなアプローチをしている・・・・・・。 あの広大な空でさえ人間ほど広大ではない。 なぜなら、空には果てがあるかも知れない、が、人間のアプローチには果てしがないからである。 それは永遠のアプローチ、始めなく、終わりもない。 ただ進化だけがある。
ソクラーテスのアプローチとは、このようなメッセージを残したのではないだろうか。