見立ては
「なぞらえる」「物を本来あるべき姿ではなく、別のものとして見る」という意味で
使われることがあるようだ。
私は茶道のことはよくわからないが、
千利休は見立ての心を生かし、日常使いの生活用品を茶道具として取り入れていたという。
今の時代は何不自由なく物が揃っており、不足していて困るということは
日常生活の中でほとんどない。
とても便利な生活に慣れているため、時々その物がないと、
大変なことが起きたかのような事態になる。
時にはパニック状態に陥ることさえある。
そんな時、
別なもので代用できる?
どうしたらなくても大丈夫?と
柔軟に想像力をはたらかせ
発想の転換ができれば、
パニックを起こすことが避けられることも多いだろう。
こんな日常も創造力を養うよいチャンスなのだと思う。