「当たり前」なこと。
「普通」なこと。
日常を何気なく支えているこうした存在へ
少しだけでも意識を向けてみれば、
いまのこの状況は「当たり前」でも「普通」でも ないのではないかと感じられてくる。
「そんなことは『当たり前』であり、『普通』である」
と断言できるのは、
恐らく、目に見えるモノだけを材料にして
判断しているからではないかと思う。
一方で、
「目に見えるモノだけ」は
「自分の目に見えているモノだけ」なので、
ほんの一部の材料から見立てていることになる。
本当の支えになっている素材の
こぼれてしまっている状況で
見立てをしなければならないのは、
もしかしたら、相当のリスクを
自分に背負わせていることなのではないかと思う。