東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

読譜

(昨日の続き)

「からだ」という動態を、ある種の「楽器」に喩えてみるとき、

からだへの「触れ方」は、

楽器の「扱い方・弾き方」に通じるように思う。

 

一方、触れるというその前に常に問われていることもあり、

それはからだの「どこに触れるか」ということだろう。

これがまた自分の中でうやむやになりがちなことでもあり、

でもそういうことから逃げたくないが為に、今も学び続けている。

こういうことに正面から食いつくと面白いのです。

 

さて、このことを先の喩えに当てはめると何に該当するだろうか。

 

どの「楽譜」を選ぶか、というのとは少し違う。

 

色々な意見や捉え方ができるだろう。

最近感じているのは、

もしかしたら何も選ぶ必要はない、のではないか

といったことだ。

 

選ぶまでもなく、既に目の前に

今日この瞬間に演奏する為の楽譜のページが開かれている。

そういうイメージなのではないか・・・。

 

では、もしそうだとしたら、ここで問題になるのは、

残念なことに多くの場合、

目の前のそれが「楽譜」だと、ちっとも思えていないことだ。

 

もしくは「楽譜」だとなんとなくはわかっていても

読み解き方がしっかりとわかっていないという事実だ。

 

既に多くの情報を目の前にしているはずなのに、

その真価に気が付いていない。

少しは気が付いていても、十分に生かしきれていない。

 

からだの要求をキャッチして、

それを操法のなかで開花させている操者を目の当たりにすると 

こういう実感から目をそらすことはできないと思う。