操体を学び始めて数年ほどたった頃から、少しずつですが講習以外の場でもからだに触れる機会が増えていきました。
チャンスが増えるごとに、臨床におけるリアルなことに直面するようにもなりました。
最初、一番動揺したのは、被験者の方の言葉でした。
感受性のある方は、操体を受けているときの感覚を豊かにモニターしてくれます。
これはとても嬉しい。
受け取った感覚をさぐりさぐりでも言葉で伝えてくださる被験者の声というのは、
感覚分析を学んでいる自分にとって、とても得難い瞬間です。
一方で、一番堪えるのは、操体を受けて「何も変化を感じない」という声。
こういう感想を持つ方ももちろんたくさんいます。
この手の言葉を受け取るたびに、正直内心では相当がっくりしたりしていました。
被験者の方の言葉に一喜一憂していた時期がしばらく続いて、
前日も書きましたが、からだに触れることでまた別の大事なことを学びました。
被験者の言葉ももちろん大事。
そして操者として、被験者のからだから感じているもの、
「からだの声」のようなものも大事なんだと感じるようになりました。
(こういったことは、ずいぶん最初の頃から講習で教えていただいていたはずなのに、
身をもって体感しないと、わかれないことなんだと改めて感じます)
これは操体の持つ数種類の分析法によって、
多様な切り口から、様々な変化として受け取ることができることだと思いますが、
そういう「情報」がなんとなくでもからだからキャッチできると、
被験者の方が「変化を感じていない」というのも重要な声だというように感じるようになりました。
被験者の方は「いや、何も変わった感じがしないなぁ」と言っていても、
たしかにからだの方で変化していたことが伝わってくる。
そういう実感をちょっとずつ重ねることで、この手の言葉に不必要に惑わされる必要はないんだと思えるようになりました。