おはようございます。
瀧澤さん一週間ありがとうございました。本日から寺本が担当致します。
テーマは「とばす」ということで。
よろしくお願い致します。
ちょうど連関するように、新型コロナウィルスの存在感のなかで
ここのところ色々な切り口で「とばせなくなっている」
→「動けなくなっている」自分がいたことを思う。
日本に漂っている「自粛」しなければ、という空気。
自分や自分以外の人の健康や命を考えるとき、どうしたって目を背ける事のできないテーマが、ずーっと目の前に在り続けるように感じる日々。
気が付かないうちに、感染症対策に必要な自粛以外でも、
自分で止めてしまっていることがあることに気が付く。
この状況の中で一時期、モノを考えられなくなっている自分を感じることもあった。
どの情報を吸収して、どんな行動をすればいいのか、わからなすぎる。
わからないことは、決して悪いことじゃないと思っていたけれど、
それが不安の方にばかり繋がってしまうのはつらいなぁと思ってもいた。
そのしばらく覆っていた悶々感は、ある日、仲間と話をするようになってから
変わり始めた。
それまで、ちょっと誰かと電話で話をすることすら遠慮していた気持ちがあったけれど、仲間と電話で話す機会を得て、その時自分が感じていたことや不安に感じていたこと、なんとなくボンヤリと感じている言葉になっていないこと、本音、などのたどたどしい話を聞いてもらった。
それを聞いてくれている相手がいて、相手もまた本音で返してくれる、というキャッチボールを繰り返すうちに、何かの重みが抜けて、軽くなる感じがした。
あぁ何かを感じたり、本音で話したりしてもいいんだ、と妙に納得してそれをとても嬉しく感じた。
同時に、自分がどれだけ動きを失っていたか、
または失っていると錯覚していたかに気付かせてもらったような気がした。
2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します