ここ何ヶ月かの間で、「からだ」との付き合い方がまた変わってきている。それは自分ごとだけじゃなくて、周りの人達も含めた生活空間のできごととして感じている。きもちの部分も「からだ」に委ねることで変わることを感じてきた。
初日に、今の状況下で「僕を取り巻く空気はなんとなく重苦しく感じることがある」と書いたけれど、僕はその重苦しさをどこで感じていたのだろうか。ブログを書きながら、それを肉体で感じていたのか、心で感じていたのか、呼吸で感じていたのか、その全てなのか、考えていた。一つ興味深いのは、時間の流れさえも重いと感じられることだ。
ひとり、淡々と歩いている時、僕はからだの内側と外の世界のつながりを感じている。それを感じられる窓口は確かにあるようで、そんなときはからだが軽いし、時間の流れも軽く感じられる。歩く以外でも、日常のふとした瞬間にそれはあらわれる。
今の状況が早く終息しますように、という想いを抱きつつも、今までも「僕を取り巻く空気はなんとなく重苦しく感じることがある」という状況はあったし、多分終息した後も、また違う形でそれはやってくると思う。そんなとき、ちょっとしたことで、少しでもからだやきもちが軽くなるのなら、しかも、気づいたらそうなっていたというぐあいに、「からだ」に委ねることでそうなるのなら、繰り返しの日々の中で僕はその可能性を大切にしていきたい。
一週間ありがとうございます。
寺本さん、明日からよろしくお願い致します。
2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します