頭で理解したり、きもちで共感したりすることもできる。
その前に、「からだ」で共振、共鳴することもできる。
思考や感性でキャッチする前に、原始感覚で振動をキャッチすること。
先日の岡村実行委員のブログの中で紹介されていた、「なぜ植物は緑色をしているのか」という真実。
このことを初めて耳にしたとき、猛烈に感動しました。
折しも植物的な「食」を営んでいた時期です。
継続的な「からだの学習」の中でひびきあうことはあります。
人間も生命体である以上、代謝活動は必須です。
むしろ、代謝活動をしているということが生命体の一条件、と捉えることも出来ます。
「生きている」ということは、繋がりの中でエネルギーや物質をいただいて、それを熱エネルギーとして宇宙に放出し続けること。
息、食、動、想は自らの意思で営むことができるけれど、まず環境から有難くありのままをいただいて、無駄に摩擦を生じさせない生き方も可能だよ、ということも「からだ」の中の「植物」は感じさせてくれるのです。
欲で反応すればギブして終わりということも、感謝しながら、いただく、委ねるという姿勢であれば、人間もギブアンドギブでつなげていける。
「ウソかホントかやってみて この味をつかんだら教える責任がある筈」
「からだ」に満ちる「愛」を伝え、共に生きることは植物的である、ということも感じ取れてくるのです。