植物の生命力には、見た目の美しさとは裏腹に、ときにゾッとするものを感じることがあります。
そんなときは、人間のスケールを超えたものに触れている、と感じている瞬間。
住んでいる処の勝手口の裏に、ずっと植わっていた蕗(ふき)がありました。
管理人さんらしき人が、年一回ぐらい茎の根本を刈ってくれるのですが、あっという間にドアを塞ぐように伸びてきます。
この間、根っこの方はどうなっているのだろうか、と手入れをしたら、その根っこの張り方と強靱さに舌を巻きました。
しかも、その根っこだと思っていたものは、地中で横に伸びる地下茎だったのです。
蕗は、その地下茎から芽が出るそうですが、芽が縦に伸びていく前に、目に見えない地中で横に伸びていた茎があるということ。
目に見えないところで横に伸びる地下茎が、蕗そのものの生命力のようにも感じられました。
「からだ」には、「からだ」を操る動物的な筋骨格系横紋筋系の動きもあれば、「からだ」に委ねる植物的な皮膚体壁内臓系のようなうごきもある。
原始感覚をとおして「からだの表現」に触れていくと、筋肉以外のところが「うごき」の動機になっている、と感じられるようになってくる。
動物的には動かないところにこそ、植物的な生命力が貫通している、なんてことも素直にいただけるようになってくるのです。
目に見えない「からだのうごき」も含めて、「からだの表現」によって現れてくる「からだ」のつくり。
たとえ、それが奇異なつくりに見えたとしても、内臓感覚や皮膚感覚で植物と共振、共鳴している自然なつくりなのだと、「からだのうごき」は教えてくれるのです。