昨日のブログに、緑色をしている葉っぱの真実を書いたので、今回は
そのことについてもう少し、噛み砕いて書いてみたい。
あの太陽の光を、可視光エネルギーとして「波長」で分類してみる。
それは、植物が行っている光合成の素でもあり、日中に酸素を供給す
る源でもあり、動物もその恩恵を吸収して化学反応を起こしている。
光合成とミトコンドリアは、酸素を受け取ることによってそれぞれに、
葉緑素とATPを作り出し、生命の維持および成長して次世代へ繋げる。
植物の光合成で、必要なのは「クロロフィル」と「カロテン」であり、
その主役であるクロロフィルは、緑色の波長をほとんど使わない。
可視光とは、視力による波長という太陽光のエネルギーそのもの。
だからこそ、動物や人間も植物の養分を食することで、その源を体内
に取り入れる、つまり感覚を通じて栄養化するのことになる。
ここで重要なのは、見えにくいものが見えるという価値である。
エネルギーの分布は、長い赤の770nm波長から、短い紫の380nm迄
であるが、そうするとエネルギーの波長からしても、可視光として
確認しやすいのは、間にある色彩、「緑の550~490nm」となる。
「植物」がもし、利己的な考えを持っているなら、速く成長し繁茂
を続けることのできる色彩、それは「黒色」。
葉っぱの色は、本当は「黒色こ」そベストな解、全ての可視光エネ
ルギーを余すことなく吸収しやすいのだから。
植物はその選択をあえて選択せず、緑の波長を、わざわざ反射して
動物に与えるということを、進化の最中でもかたくなに守っている。
それは、共生し共存すること。
共鳴し、共感を可能とすること。
「共有感覚」の真実は、植物の「葉っぱ」の色彩を見ると解る。
真理とは愛。呼吸を通して感覚すること。
これも共有できるのだ、と学んで実践して進化をしてきたから解る。
もし、植物の葉っぱが黒色になっていたらと、イメージしてほしい。
「うる星やつらの面堂終太郎」ではないが、多分私自身耐えきれず、
『ワ~ン!暗いよ~狭いよ~怖いよ~』と叫んでしまうだろうなぁ。