(続き)
快よく癒されると書いて「快癒」です。
もちろん、どこかに痛みのない幸せを感じる、これは当然ですね。
では単純な話、痛みが無くなれば、それで皆さんは満足なのでしょうか?
いえいえ、それでは痛みが無いだけで、病人は取り残されてしまいます。
病気や怪我を治したい。ただ、その一心で医療に救いを求める。
痛みを止める要求は、当然のこと。
ですが、それとは別に「からだ」を治すための経過はあるのです。
「からだ」が治しているのですから、治癒のプロセスにも理由はあります。
私たちは「からだ」の中の青写真を、どのように捉えているのでしょう?
「からだ」は罰を与えたいわけではないのです。
「治癒」の中にある感覚。
内包された本当の感覚は、生命を統合し、調和と秩序をもたらす意味が在る。
そう捉えてみると、「快癒」の「道すがら」に痛みも大切だと理解できる。
ただただ、邪魔しない。
常に、「治癒」のプロセスを助ける手段の一つでありたいから学ぶのです。
(続く)