(続きのまとめ)
自分自身が問いを立てる練習をすることです。
そして、その問いに答える練習を積み重ねていくことです。
積み重ねてきた力は生きる姿勢を養います。
それは「操体」を学ぶために欠かせないことの1つだと思っています。
探求すること。
探求活動は、自分自身の力を1段上のレベルに引き上げるチャンスです。
獲得させた知識及び理解において生きた働く場を与えること。
学びの成果を確かめて、実際に一つ一つ学んだことを用いていくこと。
それを自分自身の生きる姿勢の中に組み込んでいくことです。
学びの中での訓練なしには、形だけの、うわべだけのものになってしまう。
つまり、理論と実技は両輪の環。
それを臨床と生活の場で活かしていけばいいのです。
自分自身に向かい問いを立てれば「操体」を学ぶデザインは決まってきます。
(まとめの注意点)
「発想」とは人の役に立ってオリジナリティーがあることです。
全くオリジナリティーがなく人の役に立たないものは「妄想」となります。
それは、微生物の「腐敗」と「発酵」にも似ています。
微生物の働きで、ヒトの役に立つものを「発酵」と言い、役に立たず悪さをするものを「腐敗」といいますから。
「妄想」は一番見るべき部分を放棄し、自分の認識を誤ってしまうことです。
現実逃避も同様、「妄想」は現時点での欠点に目を向ける勇気を持たない限り、
生じてくると思います。
この「発酵」しやすい環境とは、「腐敗」も同時に起こりやすくなっています。
それを「発酵」とさせるかどうかは、その「間=マ」を図り、正確にタイミング
をつかむ能力も必要となってくるのです。
どんなに素晴らしい思想を並べても、伝わらない技術は無意味です。
生命現象ですから、自然法則は貫通しています。
本物はどのような状態でも伝えることができるはずなのです。
それを「何のためにまなんでいるのか」の繋がりとしておきます。
ということで、一週間のお付き合い有難うございました。
明日からは、瀧澤副実行委員長の登場です。よろしくお願いします。