東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

何のために学んでいるか⑥

(続き)

 

今ある手持ちの知識や、手持ちの発想でつくる仮の答えは、

当然ながら不完全なものしか出来ません。

 

自分自身が持っていないもの。

つまり、操体の知識、操体の情報、操体の理解の、

その本質、所在に気付くことさえできれば、

それを埋めたくなり、それを手に入れたいと学びを成しうるのです。

 

「アナログ」といえば「触覚」。

 

「触覚」の情報はとても大切です。この感覚を育てるのです。

あらゆる行為において、直接触れる事はとても重要なのです。

 

生命現象を受けとるような感覚を大切にしないことは勿体ない。

「息」にしても、その入ってくる方向性があり、「意識」にしても、

その向かう先はあり、「目線」にも膨大な情報はあるのです。

 

一つ学び終えたら、その学びを忘れないことです。

いつもその問いかけに立ち戻り、自分自身で答えを仕上げようとすれば、

解消されずに残っている不明の所在に気づきます。

 

そこでもう一度学び直すと言う動機が得られるのです。

その答えを仕上げきることができれば、そこに達成感も得られます。

自分自身の進歩自分自身の成長に気づきます。

 

そのような意味でいえば、操体を学ぶ事は、ある種の「快」の体験です。

「快」の体験を繰り返していることともいえます。

 

このように「操体」を学問として維持するモチベーションの源質として、

達成感のある「快」は、継続する力として働いてくれるのです。

                         (続く)