前回のブログでも「感覚」について書かせて頂いたが、これを原究していくと「発声」にも快・不快があるということがわかった。
例えば人は誰かと喋りたい時、喋りたくない時があると思うのだが、それは心や気分だけではなく、カラダの要求感覚がそのような現象を引き起こしていることもある。
七月に行われた「操体マンダラ」では「アイウエオ」を発声しながらカラダの構造(つくり)を操り、感覚を聞き分けるということを試みたのだが、それらを通じて人間の五感にはそれぞれ感覚が聞き分けられ、カラダとも深く相関しているということが理解出来た。
やはり操体は「感覚」を重視している以上はカラダと相関している全てのものに目を向け活かしていかなければならない。特に目には見えないものを活かすことはとても大切でカラダの内、外に在るもの使い方が操体の学びにはある。それを快のベクトルに導いていくことが操体の臨生なのだと思う。
こういった気づきの中で「表情とカラダの相関性」ということに着目し、その相関性を検証してみた。
今までの『表情とカラダ』の捉え方からすればカラダの圧痛から表情がリアクションする捉え方であったが、ここで書いているのはその逆の捉え方になる。
人間の感情には主に「喜ぶ・笑う・悲しむ・怒る・憎む・迷う・苦しむ」がある。
こういった心の変化を忠実に表わしているのが顔、表情なのだが、以下はその感情がカラダのどの部位にヒビキとして影響しているのか、自身のカラダを通して体感した結果である。
喜ぶ→手の小指
笑う→足首の内果
悲しむ→みぞおち
怒る→手の親指、足首の外果
憎む→おへそ
迷う→肩甲骨
苦しむ→頚椎7番
(以上のことは私自身で体感した感覚的なことになります)
という具合に人間の感情とカラダは綿密な関係性にあるものだと私は思っている。
このようにヒビキのある部位は臨床で診ている箇所が多い。少なからず心のこういった動きは人体に何らかの影響を及ぼしているように思える。
また最近は『舌』にも注目している。
人体で最も感覚の聞き分けが優れている舌をどうにか生かすことが出来ないかと検証しているのだが、どうやら舌も目線ほど万能ではないが、カラダの構造を操ること、また感覚を聞き分けることにおいて何らかの相関性がある。
その具体的なことはまた次のブログに書こうと思う。