最近、特に臨床の中で気を付けているのが言葉の使い方です。
操体の臨床は「感覚をからだに聞き分ける」ことを重要視しているので、私達が使う言葉一つでからだに聞き分けることが出来なくなるケースもあります。
例えば触診する時に「これから触(さわ)ります」と「これから触(ふ)れます」とではからだが操者に見せてくれるものが大きく変わってきます。
技術やテクニックよりもこういった些細なことに気を向けられるかどうかが臨床家としての腕前を問われるように実感しています。
このような言葉の選択も診る側が全てからだに向けたメッセージとして用いなければならなく、それが出来ればからだもヒビキとして受け取り、臨床の方向性を自ずと示してくれるのだと思います。
こういったことは臨床の中に限らず、普段の生活から「からだと命」が悦ぶ言葉を選択していくことが大切になってきます。
橋本敬三先生も「言葉は運命のベクトル」と説かれていますが、まだまだ奥が深いようです。