不調を感じているときは、「からだ」と「自分」がずれている。
「からだ」がおかしいわけではないんだなって思うようになったのも操体に出会ってからです。
どうして「からだ」と「自分」はずれていくのか、体感して気づくのは意識の使い方にありました。
思考意識になっているときって、本当に「からだ」がおいてけぼりになっている。
「自分の思考」が主語になっていると、「からだ」にとって必要なことは何なのか分からなくなってくる。
操体を学び始めてから、「からだにききわける」ということを知り、「からだ」にはからだの意志があり、「からだ」は「快」を要求しているということを、臨床や生活の中で「からだ」の変化をもって体感してきました。
「からだ」に意識を向け、「からだ」にききわけ、「快」を共有していくと、「からだ」と自分のずれは少なくなり、不調は解消され、健康維持増進に向かっていく。
そこには思考意識ではふれられなかった意識感覚の世界がありました。
そして今、重心の適正化において、感覚意識の世界にふれています。
「からだ」がききわけていることを素直に感じて委ねていくこと。
それは、スイッチが切り替わるように「からだ」が主語になっていくのですが、それを可能にしてくれるのが自然体律位という立ち方です。
自然体律位と、それに通ずる自分たちを生かしてくれているものの生かし方によって、「からだ」と「自分」のずれが一つの線に重なってくると、「からだからのメッセージ」を受け取りやすくなる。
感覚優位で表現されるいのちの営みへとつながっていきます。