操体を学ぶ以前は、臨床に携わっていても、いかに症状を改善できるか、ということばかりに意識が向いていたんです。
その為には、テクニック(術)を身につけていくことが必須だと思っていました。
自然治癒力という言葉も知ってはいましたけど、今一つピンときていなかった。
それで、操体を学ぶようになって気づくんです、思考意識で臨床に関わっていたんだなって。
思考意識で再現性の世界を求めていたんです。
テクニック(術)があれば、それが可能だと思い続けていた。
でも、「からだ」はもっと解放された存在で、表現の世界に生きているんです。
「生きる限り快適に満足して充分に生きたし」という生きる姿勢を可能にするのは、感覚意識で「からだ」の表現に気づいていくこと。
そうすると、臨床の関わり方も「からだ」が主語に変わってくるし、「からだ」がききわけていることに委ねるという点において、臨床と生活の垣根もなくなってくる。
向かい合うべきは「からだ」と、その「からだ」がききわけていること。
そういうことを今、操体をとおして学んでいます。