続きです。
「実際は、受けるだけでなく、学ぶんですよ。
感じているのは生命で、『からだ』はその為にあるのですから。
それを『ききわけていく』のです。普段の仕事や日々の生活で、
忙殺されている時は、『からだ』にききわけていないんですよ。
そこで、アドバイスを一つ。
聞いたことと、理解することは違いますよね。同様に、知ってい
ることと、腑に落ちたことは違います。
あなたの『からだ』に『ききわけた』全ては、循環ですから、巡
り廻って、くぐりぬけて腑に落ちるのに、時間がかかります。
私が操体の臨床を、とても魅力的に感じることの一つとは、その
ききわけた『感覚』を、共有して受け取ることもできるからです。
ええ、何も返しませんよ、きいて、ただうなずくだけなんです。
私もあなたも、誰でも、人は失敗するもの。
失敗は、普段の生活で生じてしまった、病態や症状みたいなもの。
人は失敗すると、すぐに取り返そうとします。
必死でそれを拭い去ろうとして、あわててしまうものです。
早く、はやく、結果だけを急いで求めてしまいがちですよね。
それでは拭えず、また同様の失敗を繰り返しているんですよ。
操体は、人を空っぽにしてくれるんです。
その語源から『からだ』ができているようにね。
そうしてあがいているうちに、その経過も必要だったんだと、
『からだにききわけて』あなた自身が気づくときはあります。
結局、そういうことなんですね。と」
と、まぁ、こんな感じですかね。
厳しくも優しく暖かな真実を、橋本敬三師も残されています。
―生きる責任を知れ―
続く