おはようございます。
どんな世界でも、はじめから器用に何でも出来てしまう人と、そうでない人はいます。
思うように上手くいかない人からすれば、器用な人は羨ましい。
しかし、思うように上手くいかないから、それだけ伸びしろがあるとも言えるのではないでしょうか。
思うように上手くいかないから努力する。
努力という言葉から、頑張るという言葉を連想する人もいるでしょうが、操体の場合は違います。
無理して頑張って努力するのではなく、からだの感覚をききわけながら気持ちのいい方へ向かうようつとめる。
このつとめは、日々の生活のなかで出来る。
生活のなかのちょっとした動作も、操体の作法に照らして感覚をききわけながら行ってみる。
感覚をききわけながら行うから、なぜ上手くいかなかったのかが次第にみえてくる。
そして、からだが不快と感じることを無理にとおしても、スムースに事は運ばず、疲労感や身体のバランスの崩れにつながることも理解できてくる。
日々の生活の間違いによるヒズミが、からだのバランスを崩す要因となり、症状、疾患につながっているのですから、臨床の場で症状、疾患をかかえた人を診るときに、生活の中で実際にききわけた感覚が役に立つ。
この生活の中での経験値というのは、はじめから器用に何でも出来てしまう人よりも、そうでない人の方が豊富になるように思えます。
それが、病みをかかえてしまった人の、からだの要求に的確に応える事につながると思うのです。
そして、からだの要求に的確に応える事ができれば、臨床効果もおのずと上がる。
操体法はテクニックではないと昔から言われています。
それよりも大事なものを操体から学び、感覚をとおした実践を経て操体法として活かす。
それには、不器用でも真摯に学ぶ姿勢が大切だと思うのです。