東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

千島学説との出会い

昨日は、「赤血球の不思議?」と題して生理学の授業での疑問を書きましたが、これは小学校での体験が少し影響しているようです。

記憶は、非常にあいまいなのですが、確かクラス全員で近くの公民館に行き、教頭先生が手品や楽しい話をしたり・・・
そんな時の一コマ。

「血は、腸で出来ると思う人?」
という質問に、何の疑問もなく手を挙げたのに、
「残念でした、血は骨からできます。」
「えっっっっっ〜」

全く予想もしなかった答えに驚きました。しかし、先生のいうことは絶対ですから、もちろん血は骨から出来ると信じることにしました。
ただ、どこか腑に落ちないと感じていたのも事実です。
そこで、小学校2年の甥っこに、同じ様な質問をしてみました。

「血は、おなかで出来るでしょうか?骨から出来るでしょうか?」
甥っこは間髪入れず、
「おなか!」
「そうよなあ〜」

実にこの感覚は正しいと思うのです。
食べたものが排泄されるまでの間に、消化器官を通り水分と鼻から吸い込んだ酸素を元に血を作る、と子供は感じとり、
おなかが減り「グルグル」と小腸が鳴るとき、子供はホヤやナマコになり、小腸が体液、血液を作っていると感じているのではないでしょうか?

動物や植物に成りきっている子供は、割った生卵の黄身についている血に生命を感じ、生命発生の真理をつかみ取っているのではないでしょうか?

ところが、この素直な感覚が様々な情報にかき消され、次第に大人になってしまい、何か特別なことが無い限り永遠に封印。

多くの人はこのパンドラの箱を開けること無く過ごすのだと思います。
私もその中の一人でした。
そんな私に特別な転機が訪れます。

2年程前、友人の鈴木敬造さんが身心道なる勉強会を開き、参加することに成りました。
鈴木さんは、奥様がガンを患われたのを機に、抗がん剤治療、放射線治療以外の治療法でガンと共生する生き方を探し始めました。
そして探し当てたのが、千島学説

その勉強会では千島学説を鈴木さん独自の視点で紹介して戴きました。

その中で、最も印象に残った一場面。

「ものごとは、相似形。
樹木が水分と養分を根っこから吸収して、自らの体液・樹液とします。
これを、相似形としての人間に置き換えると、水分と養分が詰まった小腸での機能が根っこの機能になります。
消化器官を運ばれた食べ物は、小腸でモネラと呼ばれる物質になり、絨毛で吸収され、自らの体液・血液とします。
これをイメージする場合、樹木の根っこをソックスと考えて下さい。
養分を吸収している根っこを裏返しにした状態が、腸の中の絨毛。
つまり、地中と腸内が裏返しになったと考えると分かりやすいと思います。

そうすると、モネラという地中に絨毛という根っこがまるで樹木のように存在していることが分かります。」

ソックスを裏返した絨毛のイメージは、鮮やかに血液は小腸から生ずるという理論と結びつきました。

これが千島学説のなかの8大原理の一つ、腸造血説。

ここで、改めて小腸の消化器官における割合を考えて見ることにしました。
食道から直腸まで約8メートルの内、約6メートルの長さが小腸です。
消化器官のおよそ80%近くを占める小腸が内臓における大切な機能を任されていることがよく分かります。
極端に言えば、小腸の働きを促すために他の消化器官が存在していると言えるかもしれません。
また、小腸には、輪状に飛び出したヒダと絨毛があるため、小腸の表面積は、12畳の広さになります。また、単層の円柱上皮細胞に覆われているため、物質の吸収、分泌には適していますが、容易に壊れてしまいます。
そのため、絶えず細胞の交換がなされています。つまり、生物と無生物、生と死の行き来が絶えず繰り返されている器官と考えられます。

そこで、もう一つ。
からだを覆っている血管を全て真っ直ぐに繋げると、約10万キロメートル。
地球を2,5周する程の長さになります。
とてつもない距離になりますが、12畳の広さからなる、小腸から血液を作りだすのならば、不思議ではありません。

しかし現行の説だと、成人では、最も大きな大腿骨や上腕骨骨髄は脂肪で覆われ、造血出来ず、それらの骨髄以外の骨髄で血液を作りだすことになります。
はたして、その程度の骨髄で、地球を2,5周する程の血管に送り出すだけの血液を作りだすことが可能なのでしょうか?

私には、不可能に思えるのですが・・・・

また、樹木を東洋思想の陰陽で捉えると、地上の幹、枝、葉は陽。地下の根っこの部分が陰となりますが、特に広葉樹の場合、地上の枝葉と同じ範囲で、地下に根っこを張ります。まさに陰陽が相まって、樹の生命を支えているのです。

人体も樹木の相似形と捉え、陰陽で捉えると地球を2,5周する程の長さになる血管を陽。
12畳の広さからなる小腸(絨毛という根っこ)を陰と考えることが出来るようにも思うのですが・・・・まあ〜私のこじつけにすぎません・・


これらのことは、また、医師でもない私にこのようなことを書く資格がないのかもしれません。

しかし、小学生のような素直な疑問がある限り、私なりに千島学説を咀嚼し、血肉となったところだけを表現してみようと思います。
明日は、「ウィルヒョウの病理学を否定する理論」と題して、橋本哲学と千島学説を紹介いたします。では また!



佐伯惟弘