東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

変化のなかでおさまる

昨日の夜はたっぷり雨が降った。

 

こどもの頃から川の近くに住んでいるので

急な大雨が降ると、その度に鳴り響くサイレンを聞いていた。

昔はよく川の水が溢れて、氾濫していた。

昨日も案の定、サイレンが響いていた。

 

コンクリートの上に降る雨は

あるものは水たまりとなり

たまりは溢れて、排水溝へと流れていく。

マンホールの蓋の下では

けたたましく流れる濁流の音がしている。

 

都市に降った雨の何割かは、土にしみ込まずに

人間の作った水の通り道に導かれ、

様々な「管」を通って循環する。

 

昨日降った雨も、今頃は川の水になっているのか、海の水になっているのか

未だ下水道の水として浄化されている最中か。

人間の生み出してきた、「環境」の姿があり、

その一部として、自身もそこに住んでいる。

 

人間が生み出したものは、どこまで「変化」に対応できるだろうか。

昨日の夜、雨のなかを歩きながらそんなことを考えた。

 

環境を管理する為に作られてきた「器」。

そういった「器」の多くが、

「変化」を忘れ、「動き」を失っている。

 

「変化」を忘れた「器」は、自然に生み出される現象を

時に、受け止めきれなくなり、サイレンを響かせる。

 

変化のなかで「おさまる」。

操体を学んでいると、この本質と何度も向き合うことになる。

 

人間は何かを生み出すようになる前から、

実は、生まれた時から

変化のなかで「おさまる」ように創造された

「からだ」というイノチの「器」を有している。

 

からだは、人間の生き様を

どんな風に感じながら

傍で見ているのだろうか。

 

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