東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

一歳の長男の誕生日に思うこと

私は三人の子持ちです。
子持ちというとシシャモみたいですね。


言い直しさせていただきます。
お陰様で、三人もの子宝に恵まれまして現在に至るまでハッスル
している愛妻家(恐妻家?嘘ですヨ)の今年38歳になる男です。


・・・が、出来る限り生活の匂いを消す努力をしながら、臨床に向かいます。
だって、非日常の世界を味わうのが感動の始まりですし、日常茶飯事では来院して頂くのに申し訳ありませんから・・ネ。


家ではどんな感じなのでしょうね〜?(夫として父として)


特に何にもしていませんが、夫であり父である自分の、充実した輝きを普段から見せてあげることが出来たら、それだけで十分だろうなァ〜と考えるようになりました。
“真っ当”にしているんだよ〜。
人としてね、出来る限り自分に与えられた使命を知っておきたくて、コツコツとね。


昔(少しだけ)は、自分の家という場所において、夫という地位の確立をする為に、洗濯を手伝ったりご飯を作ったり、どこかに連れて行ったりすることが大事であって、それが家族と自分の一番大事なことだと考えていましたが、
それでは間に合っていかないのです。


自分に葛藤が起こるのです。(私の場合ですよ)
なぜならば、愚痴が出てしまったのです!しかも自分では気が付かなかったのです!


・・その時、聞いていた三浦先生が・・
「愚痴なんてネ、誰も聞きたくないよ!同志だから、こうして皆聞いてくれるけどね・・」
「煮ても焼いても食えないのが愚痴!だから愚痴なんて言わないほうがいい」
ちょっと落ち込んだ私を見て、
「お前は疲れているんだろう?自然に溶け込んできたら良いよ。一人になってみろ」
とお優しいフォロー(ウウッ涙が出る〜)
「岡村が岡村らしくなければ意味がないんだよ!媚を売る様なことをするのはネ、自分を消耗させているだけなんだヨ、そんなことは子供は望んでいないんだヨ、」
とわかりやすく教えていただいたのです。


正直言いまして、聞いたときにエエッそうなのかな?と思いましたが、
意識が変わって、目的を確実に見据えていれば、おのずと答えが出てくるのですネ。


手に入れたいものがあったならば、手に入れたい目的は何なのか?
目的もはっきりせずに、ただ望んでいても意味がないから叶わない。


そして欲望という名の怪物に支配されないために知っておくルールもある。


例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチはこう言っています。
「それを手に入れないと、苦痛を覚えそうだと悟ったら、その事をあてにしてはいけないし、それをやってみてもいけない。」〜欲望を絶つ心得より〜


この意味が最初はわからなかったのですが、解ったら環境そのものも変わってきました。
勿論!良い方向に。
今ですか?聞くだけ野暮ですよ〜。(フォーラムの懇親会で聞いてくださいネ)


意識といえば、瞑想をするときのことなんですけれども(飛びすぎだって!)、調身・調息・調心をゆっくり行いますよね。
その時に雑念がふつふつと湧いてくることがあります。


瞑想なんてしないワという方でも、眠れない時には感じることが多いはずです。
(いらいらしてたり、ワクワクしたり、心配事があったりすると眠れなくなる)


その時、“雑念を払いなさい”という教えもありますが、どうしてかわかりませんが私の場合そうしようとするほど、雑念がかえってまとわり付いてきます。
そのような時にはどうしたらよいのか?


私がその考えに共感を生む“代々木忠”氏はこんなことをお話しております。(以下引用します)


「瞑想においては雑念をはらえ」という言葉をよく耳にする。だが、雑念をはらおうとすれば、いつまでも雑念とつきあうはめになる。だから呼吸によって心が落ち着いてきたら、「あえて雑念とたわむれよう」と私は言いたい。雑念を否定し振りはらうのではなく、雑念と積極的に遊んでみるのである。


そもそも雑念とは何だろうか。なぜ心が落ち着いてくると、雑念が現れてくるのだろう。雑念とは、過去においてまだ解決していない、あなたの思いなのではないだろうか。この意識するとしないとにかかわらず、解決されていない思いがたくさん残っていればいるほど、人からいくら励まされようとも、あなたは自分に自信を持つことがむずかしくなってくる。


たとえば、(きょう、会社でこんなことがあったな。屈辱感を味わったな。あんなことを言った部長にさえ、俺は媚を売っちゃったんだな)という思いが浮かぶかもしれない。そうしたら、なぜあなたがイヤな部長にさえ媚を売らなければならなかったのかをよく考えてみる。人はだれでも嫌いな人間に媚など売りたいわけがない。そこにはそうしなければならなかった状況があったはずである。だったら、自己嫌悪するのではなく、その時にそれしか取るべき道のなかった自分を認め、自分なりに精一杯やったあなた自身を許してあげよう。


あるいは、もっと昔の出来事を思い出す人もいるだろう。(そういえば子供の頃、こんなつらいことがあったな。でも、だれにもそれが言えなくて、今でも俺は心のどこかでまだそれを引きずっているよな。よく考えてみると、あの時のあいつをまだ恨んでいるんだな)などと思えてきたとしよう。しかし、そんなつらいめに遭いながら、あなたは一人でここまでがんばってきたのである。過去の幼いあなたに(よくがんばった。君はすごいよ)とほめてあげてほしい。


そして、どんな場合でも必ず最後に、一生懸命やったあなた自身に(ありがとう)という感謝の思いを送ってほしい。実はこれが自分との対話においては最も大切なことである。(終わり)



・・そうです!わたしも自分にありがとうネ。今日一日ありがとうございました!・・家に帰って寝る前に言っておりましたので、この言葉は納得いたします。
(他にもおトイレでもよく言っております。鏡を見ても言っております。変ですか?)


そんな一日の振り返りには・・・。
からだの内面に響くように聞き分けます。


・どこかでバランスを崩さなかったかい?
・何がそのサインだったの?
・ゆっくり考えてみて・・・思い出せる?
・何がアンバランスにさせたのかな。


・大丈夫きっと本当の原因は突き止められるからね。
・大丈夫だよ!安心して!


・どうしたらバランスを取り戻せるのかな?
・どんなに小さなことでもいいから教えてね。


・私にできることはなあに?


これだったんだね!もう大丈夫だよ。


そのポイントは気持ちよく”たわまって”くれます。
じぶんに、からだに、ありがとうっていいましょう。


癒し癒される関係を、自分を愛してあげて欲しいのです。



以前も書きましたが、からだは自分の意志とは違う意思を持っている。
でも頭の意識に合わせてくれている有難い存在なのです。


人に誉めてもらうことを期待して、人とのお付き合いなど考えてはいけないのです。
唯一、自分に認められること。
自分の中に在り、見守ってくれる神性というものに認めてもらえるように、
日々充実した時間を築きあげたいものですネ。


やはりそこには自然界の摂理が生きています。
“自然は自己の法則を破らない”


私はここにご縁があってきていただいた方に是非!
秋のフォーラムをご招待したい〜!!(でも参加費用は払ってくださいね!ウフフ)
だって、操体を学ぶということは、そういうことなんです
から・・・。
勿体無いです、知らないってことは回り道をしているのかもしれませんよ!(何の?と言われても・・)
とりあえず、実行委員の臨床を味わって頂くことや、秋の東京操体フォーラムに(ってしつこい私にマジックリン?)ウソかホントか自分の感覚で確かめて、出来ればよ〜く味わってくださいね。


本日もお付き合いいただきまして、ありがとうございましたァ!


岡村 郁生

東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
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