私事ですが、
いずみ操体研究所として活動してきましたが、この度、師匠であり、東京操体フォーラム理事長でもある三浦寛より「快妙道」の屋号をいただきました。
今後は「快妙道 いずみ操体研究所」としての活動となります。
堂ではなく道。ありがたさと共に身が引き締まります。名前負けしないように精進してまいりたいと思います。
道と言えば、思い出すのは、10年程前、とある飲食店でアルバイトをしていた事があります。
そこの従業員間で連絡ノートというのがありまして、業務連絡だけでなく、自由に書き込めるようになっていました。
スタッフの一人にとある大御所プロレスラーのファンがいました。そのノートの発起人だったように記憶しています。
ノートが更新するたび、また折々繰り返し書き込まれ、覚えさせられた言葉があります。
一説には一休宗純の言葉と言われていますが、改めて調べてみると、少し違うようでもあります。
今回はその原典と思われるものを紹介します。
「道」
此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる
その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
(清沢哲夫 『無常断章』より)
道ついでに山頭火の好きな句を。
このみちをあるくほかない草のふかくも
ふりかえらない道をいそぐ
性分もありますので、いそがずゆっくりでも歩いていきたいとおもいます。