操体法の創始者橋本敬三正師の直弟子、三浦寛理事長は重ねて残念そうに話している。
「橋本敬三先生の卒寿の時、操体法を学んでいた多くの人間がそこには参列していたはづなんだ」
「その席で確かに橋本敬三先生は言っているんだよね」
「これからは(動きだけではなく)感覚を重視しなさい、と」
「”快”と”楽”は違うんだ、とね」
「だけど、その時確かに橋本先生は話されているのに、『いや、知らなかった』という人もいるんだよ」
「あれから何年、何十年経っているんだと思う?本当に勿体ないことをしているんだよな・・・」
いやウソ言ってません。ホントのホントですよ。
ウソかホントか、操体やってみればわかるんです。
私達、東京操体フォーラムの実行委員をはじめ会員、そして東京操体法研究会の受講生、東京操体フォーラムの参加者は、
なぜ、ここまで「快」にこだわったり「気持ちのよさ」を重視するのか理解して頂けていることでしょう。
しかし、モッタイナイことはあります。
肉体の時間は有限なのです。
どんなに長くこの世にいたとしてもせいぜい120歳くらいでしょうか。
「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、
きわめて不完全ながらもまねて象(かたど)ったものなのだ。
光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には時間を感じ取るために心(意識)というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、
その時間はないもおなじだ。 〜中略〜
でも悲しいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、
なにも感じとれない心(意識)を持った人がいるのだ」
そのとお〜り。私も同感ですネ。
このようなマ(間)を”意識”として、元々あるものと感じとることのできる人間。
時間とは、もっている”有限であるが故のマ”に合うように、人間は思考しているのです。
無限と仲良くできる工夫、不可視とほぼ無限に繋がっていける方法を考えていくのです。
手前味噌ですが・・・、20回を超えて毎年開催されている東京操体フォーラムは勿論ですし、
昨年からは、操体を学ぶ団体としての活動を通して、これから先の数十年、いや数百年?を見越したうえで、
三浦監事・畠山代表理事を中心として、「一般社団法人日本操体指導者協会」を昨年の2010年8月18日に設立しました。
その目的とは、操体を学びながら開業を目指している”次世代への操体指導者”を育成・維持していくことなのです。
なので、「現在も操体の専門家っているのかしら?」・・・とか(笑)
「操体の専門家って食べていけるのかしら?」という不思議な疑問(汗)に答えられるように、操体の専門家としての地位を確立させ、
その活動を支援し資質を維持・向上するために・・・、
国民の健康そのもの(WHO健康の定義に適っているのですヨ)に繋がる操体を提案しています。
有り難いことに、学んでいる操体で”繋がっていける”感動そのものに繋がっているのですから、
「道=タオ」を学んでいけるように、”不可視”と繋がっていけるように学んでいけるのです。
これは、イノチの流れそのものです。
ですから、肉体が消滅していても繋がっていける方法の一つともいえますね。
現代の社会にも適っていますし、日本の法律で保証されている法人格なのですから。
有難いことです。ありがとうございます。
岡村郁生
*参考文献「モモ」ミヒャエルエンデ作、大島かおり訳、岩波書店
- 作者: ミヒャエル・エンデ,大島かおり
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「意識をからだに合わせているのか、からだを意識に合わせるか。
意識は閉鎖することができるが、からだは閉じることはない。
常に解放している”からだ”だが、閉じた意識にもあってしまう。
からだは真我を求め、意識は自我の成長を望んでいる。
同胞よ、導きなさい。意識は鏡、成長とは大きくなることです。
その欲は大きくなるが、欲(ほっ)すれば満ちる。
生きているかぎり、欲しなさい」
東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他
2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。