東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

同窓会から宇宙


4/14の福田実行委員のブログ「ずっと好きだったんだぜぇ」で思い出した話です。
私も先日このCMを見て既視感を覚えたことがありました。

それは4/4に、山崎直子さんが初のママさん宇宙飛行士としてディスカバリーで飛び立つ日、
母校では「山崎直子さんライブ中継応援会」が開かれた日のこと。

私も仕事が終わってバイクで駆けつけましたが、ついた時がちょうど発射10秒前。
会場は在校生、同級生、先生&先輩方でいっぱいで、NHK取材陣の後ろからみんなの応援する姿を見ているという状態でした。
いよいよ飛び立つときの皆の感動と興奮の表情は忘れません(そこかい!)。

 応援会が終わると、今度は集まった同級生とその場でプチ同窓会のムードに。
女子校なので、恋心再燃などはないのですが、顔も声も20年前のままのみんなでした。
変わっているのは、お母さんになっていたり、バリバリのキャリアだったり、人それぞれの歴史を感じましたね。
そういえば、もう一人JAXAで働いている人もいましたね。

しばらく懐かし〜い気分で盛り上がっていましたが、やはり、高校時代の皮膚のハリはちがうもので、「あ、なんか思い出しそう、なんだっけ、これ?」と思って思い出したのが資生堂のCMです。
斉藤和義の曲といい、人選といい、資生堂は40代男性の心をくすぐってると思うのだけどどうなんでしょうか?

 まあそれはともかく、1日のうちに女の人生を何十人分聞く、という珍しい日でした。みんな毎日充実してここまできました、という感じで感慨深かった。
山崎さんはその場にはもちろんいないわけですが、色んな人から見た角野ちゃん(旧姓)像が語られていました。
 高校時代の彼女とは「宇宙飛行士になりたかった」という夢を聞く程の中ではなかったけれど、1学年の人数が120人程の学校だったので、1日に1度は顔を会わせてました。
美人で気さくで秀才で笑顔がいい、というのは今TVで見ても変わらない感じ。
当時から落ち着いていて、かといって暗くもなく、意見ははっきり言うけど出しゃばらない。
軸が一本通っていたのは、宇宙飛行士になる目的があったからでしょうか。

当時も今もそうですが、昔から3分と着席していられない私には憧れの存在でした(笑)。
地上に帰還するのが1日遅れ、上半身着物で舞っていたすみのちゃんの笑顔を見た時は高校生時代の笑顔と一緒でうれしかったですね。

 そんなこんなでひとしきりプチ同窓会を終え、体育館に残って全員で記念写真を撮り、解散となりました。

近くで待っていたご主人と子供が迎えにきている人あり、お母さんが孫つれて舞っている人あり、再び20年の時間の流れを感じつつのさよなら。

私の帰り支度と言えば、雨のバイク移動(在宅マッサージの日)だったため、青のでっかいカッパを着て(リュックをしょった上から着るため)、
(今時の女子用だけど)ゴム長を装備したのでした。
みんな久しぶりに会うってんで、カジュアルでも身ぎれいにして来ているというのに、私は魚屋のおっさんのてい。
足下を通り過ぎる誰かの子供にじ〜〜〜っと見られ恥ずかしくなったのですが、状況を説明するのも不自然なので、そそくさと校舎を出る私…。

霧雨の中、バイクで自宅へ向かう途中、「う〜ん、かたや宇宙に飛んでいるのにわたしゃ何やってるんだろうか?」とトホホな気持ちでした。

しばらくして雨も上がり、風を気持ちよく感じながら軽く動診。
肩甲骨が気持ちいいなと味わっていると(運転中の動診操法、良い子は真似しないように)、「人体は宇宙」という思いつきが湧きまして。
でもって、時には意識が違う次元に飛んぶこともあるじゃない、なんて思ったりして。

じゃあ、私もそんなには遠くもないことしているんじゃないかと思い、
しかも、毎日興味のあることを求めて、人間関係も困ってないし、ご飯も食べれてるし、私もなかなか幸せな自分に気がついちゃって、鼻歌バイクでのご帰還でした。

まあ、そうとはいえ、やはり無重力ってどんなだったのか、どうやってからだ作りしたのかなど、
山崎さんにいろいろと聞いてみたいものです。
日本に帰って来たらホントの同窓会をしようね、といってみんなと別れたので、再会するのが楽しみです。


森田珠水


こんなの乗ってます。