東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体を学んで2〜不可視の変化

おはようございます。森田です。


操体を学んで可視の変化、が昨日のブログでしたので、今日は目に見えない変化について書きます。


◎感覚を聞き分ける事で、自分自身の健康に予想以上に関わる事ができるのだと知った。
「病気は突然やってくる恐ろしいもの。自分では治癒に手が出せないもの」から、「からだのバランスを保つためのからだからのおしらせ。自分自身が積極的に治療に関われるもの」へ変化した。
逆にいえば、自分のからだに責任を持たなくてはいけないとも言える。からだに変調が起きても、他人や環境のせいにはできなくなる。
できるだけ責任をとっても病気になったら「そこから先は神の領域(三浦綾子)」と肯定的に受け入れることができる。(人生を他のせいにしない、カッコいい女になれる?)

◎健康の定義が変わった。患者さんがどんなポジションをとっても、会話できない人でも、感覚をとおして臨床をすることができる。
寝たきりのかたなどの臨床も、気持ちのよさで治りたいというからだの要求をみたすことに心血を注げばよいのだ。「私が治さないと」というエゴと不安がなくなるはずである。
そうして肩の力が抜けると、他力で私が手を出すよりいい治療結果が出始めた。事上で不安やあきらめ、退屈、我慢を感じなくてよいのは本当に助かる。

◎素直に感謝できるようになる
橋本先生は「気持ちの良さで治るんだよ」とおっしゃっていた。これを今の我々は体験し、進化(深化)させている。三浦先生の「自分と向き合う贅沢」という表現、また分科会での平直行相談役の「からだを探検することは楽しい」という言葉。
これらは、操体を通して、お金もかからず、退屈知らずでいられ、自分を知り、生き方が変わり充実することへの足がかりである。気づきだすと、他にもいくらでも感謝できることが世の中には沢山あるのだとわかってくる。

など。

書きだすときりがなく、対談で伝えきれなかったことをちょっと反省しました。もし次回があるのならば、もっとズバッとコメントできるよう課題ができました。

操体を学んでの変化という深い想いは、実行委員一人一人のあると思います。是非聞いてみたい。
私も秋のフォーラムで刊行するVisionSに関連したことを書こうかと思ってます。


 三浦先生は「操体に出会うと人生を狂わされちゃうんだよ」とおっしゃっていました。まさに操体を体験して、考え方がひっくりかえされ、会社も人間関係をはじめとする生き方が変わってしまった人が多いです。
しかしBig Changeでも心の調和ははかれるているので、ハッピーでバランスのとれた方へ向かいますのでご安心を。

 ただ、操体の臨床家であろうとするならば、学び続けなければならない事があります。
患者に感覚をききわけていただき、最高の快を味わっていただくためには、施術者自身がイノチとしっかり向き合って、般若身経、息食動想+環をはじめとする橋本哲学を日々深めないことには手に入りません。

例えば、
今回の文化会での、三浦先生の美しい姿勢での動診操法の介助、見ていただけたでしょうか。
これは臨床家は目に焼き付けておいた方がいいです(断言)。
からだの使い方が理に適っており、且つ、いくつかの動診操法のポイントをクリアして初めて
患者さんに感覚の聞き分けや味わいを充〜〜〜〜分にしていただけるかにかかっているのでです(未体験の方はぜひ一度患者として感動してみてほしい)。
しかも、からだの使い方がきちんとできていると臨床結果が変化するだけでなく、施術者が疲れず、気持ちのよさを一緒に味わって健康になってしまうという、美味しくありがたいおまけつき!

色んな意味で、仕事と生活は別物でなくなってきます。二つは一体なのです。努力も責任も軽くはないけれどからだで納得できるものだから続けようとやる気も出ます。24時間無駄じゃない生活、いいじゃありませんか!

ハッピーの種はあちらこちらに落ちているのに、ゆっくり歩いていないで見落しているのです。橋本先生の「この世は極楽」とはこういうことを言うのでしょうか。ハッピーの種、気づいて拾って育てたもの勝ちですよ〜。

と、アツくなってしまったところで、今日はこの辺で。


 

こころの洗濯をしに立ち寄る「品川区ふるさとの浜辺」


患者さんちの椿(八重)


森田珠水