ここにある私達人間を優しく見守り、生きている実感を味わえる。
公平に俯瞰的に観察することが出来るのは・・・なんでしょう。
見ようと思っても見えてはいないけれど、感じることが出来たら感(み)えてくるもの。
操体で言えば、「太極」の意志であり「自然法則」でしょう。
ハイ。なんだか幸せに少し、似ているような気もしますね。
受け入れる「自然の法則」を丸く、まるく・・・・納めていく。
「快」をききわけて「イノチ」そのものを体感している ”マ” にはミソがあります。
つまり、橋本敬三先生の言葉 「間に合っていればいいんだ」 とは、学んでいくたびに変化していくのです。
ある時、この”間=マ”について、畠山常任理事は熱く語って教えてくれたのですが、
「自分にとって都合のいい解釈して満足したら・・・・操体のプロとしては失格!!(バッサリ)」
その姿をパッと見た時の印象と違って?操体に関して断然、畠山常任理事は熱い!!(永井豪とダイナミックプロ系?)
大切なこと、本物の操体を伝えていくのだという強い意志、操体に対する熱き血潮がほとばしっている。
(見た目は少女漫画系でも80年代の少年ジャンプ並に熱いのです!カシラの風格漂います)
三浦理事長と共に「操体」に向かう姿勢は半端ではない。
同志を超えた真摯な存在に、向かい合って学ぶことができるからこそ、本気でなくてはつとまらないこともある。
先人の知恵として伝統的に受け継がれてきたものを、更に磨き上げながら道をつなげ、次の世代へ責任を持って伝えていく。
「操体」その為になら・・・と、自分の「イノチ」を捧げていく人生も在るのだ。
話は変わりますが、・・・さ〜て、皆さん間近に迫ったワールドカップ。
「ガンバレ日本」の代わりに「OOO日本」で応援するならば何を入れますか?
橋本敬三先生の言葉の中にある、「バルの戒め」
このなかにある「頑張る」ってことは、なぜ、戒めなんでしょうか。
「縛る」 「威張る」 「欲張る」 そして、「頑張る」
「言葉の統制」を大切にされていた橋本敬三先生の言葉をかみ砕いていく。
一般常識という表現、普通という比較に、人間がつくった現実をどの程度信用してで良いのか。
戒めの理由その理由とは、一つのシンプルな答えに導かれているように感じます。
人間が科学・医学・様々な研究の進歩によって出来るようになったこと。
僕が小学生の頃、夢に見ていたこと。それは人間に良く思えても、
便利なことは「イノチ」に良いことばかりではない。
可能性を追求して可能になったことは、すべて許されても良いのではない。
大自然とは、どんなに人間が努力して抗っても、すべてを飲み込んで「無」にかえしてしまうのだから。
海は浄化作用を司る象徴であり、全く交わらないとされる油と水さえも時間と共に、融合してくれる。
(勿論、人為による災害は責任を持つべきであるが・・・)
そして、明日行われる「臨床家による操体セミナー」その記念すべき第一回に参加する前に、
その下見を兼ねて、千葉に行ってみたとある場所。。
「谷津干潟」
朝早くの美しい干潟。そこは散歩する人、運動する人が多い、のどかな憩いの場所。
野鳥が多く集まるバードウォッチングの名所。
そして、世界でも保護されている「ラムサール条約」の湿地としての姿があった。
ここの場所は、埋め立て予定地だったが、たった一人のある「意識」により、
一人の人間が様々な「心」を変えていく。
埋め立てを進める地域住民の「意識」を変え、腰の重い行政をうごかし、
ある「意識」で世界の条約に繋げた、僕の一つの理想がそこに現場となって存在した。
簡単に言ってしまえば、ゴミ捨て場と化していた不衛生な干潟を、
”たった一人の人間、森田三郎氏”が毎日、毎日ゴミを拾い続けた結果なのだ。
それは、たった今をも生きていた。
「我が青春の谷津干潟〜ラムサールへの道〜本田カヨ子著」
人間の「心」とはいったいなんだろう。
「余計なことをするな!」「お前がそんなことをするから埋め立てが遅れてるんだ!」
森田氏は、変人扱いされ、度重なる罵倒を受け、肉体的にも追い詰められながらのゴミ拾い。
「ゴミも一杯見てきたけど、人の”心”もいっぱい見てきたよ」
たった一人で悪臭漂うゴミの干潟に入り(残飯、医療廃棄物、魚・動物の死骸、鉄骨に木材・自転車に家電など)
雨風でも夏の悪臭漂う中、ゴミ拾い。
早朝の新聞配達の後、毎日昭和49年からずっと・・・ゴミ拾い。それを何十年も続け、交通事故にあっても杖を突いてはゴミを拾い。
若い頃に貯めてきた貯金が減っても、明日の食べ物の心配をしながらゴミを拾い。結婚できなくても、車を買えなくても、テレビもクーラーも冷蔵庫さえも買えなくとも、自分の給料の中でゴミ袋・長靴・手袋・スコップを買い足しながら、延々ゴミを拾い続けた。
「何故そんなことをするの?」という質問には、意味がない。
そんな理由を陳腐な言葉にすれば、「真理」が霞むだけだ。
感じない人間に無益な説明したくないし、できるはずもない。
森田氏は言う。
「ゴミを拾い続けた理由?オレにもわかんねえよ。このヘドロとゴミの下に、オレがちっちゃい頃チンポコ出して遊んでた干潟と砂があるんだっていう思いじゃねぇかなあ」
「最初から汚いところなんてないんだよ。自分たちが汚しておいて『臭い汚いから埋めろ』それはおかしいんじゃねぇのと思った。
オレたち大人が汚しておいて、臭いから汚いから埋めろっていうんじゃ子供たちにどうやって弁明するんだ」
「子供たちに残さなきゃいけねぇものってのは、考えや理論じゃねえ。現物そのものでしょう」
私は、森田さんの行動意識は操体だと感じている。
「病気はネェんだ!って 何べん言って聞かせてもわがんねェ」(橋本敬三氏語録)
「いい”からだ”してるんだから・・・」(DVD橋本敬三の世界より)
もともとの「からだ」はいい。それは「救い」の世界観(橋本敬三先生の哲学思想)でもある。
そして自己責任分担(息・食・動・想・環境)の意味。そのものを感じさせてくれる。
・・・僕は・・そこまで出来るのだろうか。省エネ、エコロジー、ロハス、ナチュラルライフ・・・環境保護。
人並みの生活を犠牲にしてできるのか。自分と同じ様に、他人を愛せるのか悩む日もあったけれど・・・。
しかし、今なら言える。
人間には”道=タオ”があってネ、ウンそうだよ。いわゆる”間=マ”なのかもしれない。
それぞれの学びに、遣わされている役割ってのはあるかもしれないネ。
それは一人一人の人間にあるからネ・・・。
比べることはしないことサ。自分にもともと在ることを感じる瞬間こそ大切なんだ。
大きな事は小さなことなんだ。狭いことは広いことさ。イノチはどこにでもあるよ。感じればわかるだろう。
気がついた時に、身近なところからで良いんだよネ。
(やっと・・・ききわけたな〜祝福ッ!いつも、ありがとうございます)
操体は僕に訴えている。
そのサインを求めれば、「宇宙意識」という「意識」は、大きく答えてくれる。
(三軒茶屋の仙人、橋本敬三師の想いを知る、私は学び続ける夢を抱く希望を感じる)
答えてくれたことに感謝し、更に敢闘する。常に謙虚な心で受けとめる。
つながっているのか。自己を磨いていけ。そして共に目を開いていこう。学ぶことに、受け取ることに、妥協するなよ。焦るな。無理をするな。
一歩づつ進んでいけば、それは結果としてシンプルに納まっていく・・・「快」を学ぶ。
いや、長いブログになっちゃいましたぁ(汗)
色々と愉しみなイベントが盛り沢山目白押しの東京操体フォーラムです。これからの次世界列車(アンドロメダ行き?)に乗り遅れないように、お付き合い下さい。
と、いうことで、岡村に長々とお付き合い頂きまして、一週間本当にありがとうございます。
明日からは、みんな待ってた日下実行委員の登場です。お楽しみに〜!!
6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催