東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

乗るなら波、図に乗っちゃ・・・メよ。


(とうとう甲長30センチになった近所のアイドル=ケヅメ陸亀、ちなみに溺れます、亀なのに・・・)
昨日は朝早く起きて湘南の海に入ってきました。
海が近いのは嬉しいっです!いやァありがとうございます。
(ちなみに、オフショアで膝〜腰、セット腿。面ツルでロング向きの厚い波で乗りやすかったのです)


亀と言えば、浦島太郎の物語、ドラゴンボールでも、亀は好意的に描かれたりすることが多いですね。
寿命も長く、穏便なイメージがあるからでしょうか。

ちなみに、ノコ(家のリクガメの名前)の甲羅には、六角形(オクタゴン)模様?があり、
サッカーボールの模様のようになっているわけです。
これはハニカム構造といわれて、ある特徴があります。

強度を持たせやすく、”本来弱いものを強い構造に組む”ことが出来る。
三角型や円に比べ、圧倒的に”少しの材料で最大の面積を埋める”ことが可能となり、
これは現在も、紙からプラスチック、鉄骨などで応用されているそうです。

自然界の代表的なもので言えば、ミツバチの巣ですね。
圧力に強く、構成に材料が少なくて済むのでぴったりです。

ちなみに、
操体にご縁がある数字は”8=エイト”です。
これとの違いは、考えてみると面白いのです。なるほどなァ〜とも思うわけですネ。

使い勝手を決めて限られたものではなく、
自由なものを構成する為の最低限度の単位・・・というのはいかがでしょう。


そして、「操体」の「動」は、なんと言っても・・、
からだの使いかた、うごかしかた(=般若身経といいます)は、基本中の基本です。

それは、三つの法則に二つの相関性です。
「重心安定の法則」、「重心移動の法則」、「連動の法則」
「目線との相関性」「呼吸との相関性」であります。

これは面倒ではありません。
理にかなっているのからこそ「からだ」になじんでいきます。

ですから、もともとはそうなっているのです(だ・か・ら・法則と言うのですネ)
コツコツ学んで身につけてしまえば、ウ〜ンと自由になる。

興味がある段階から、一歩踏みだす意思はあなたにあります。
「からだ」はそれを静かに見守っています。

自分に優しくて「イノチ」に厳しい生活の中では、
小さなこと、大きなことのバランスを保つのが困難です。
それでは”軸”がブレやすいのです。

ちなみに、
「図に乗る」とは、
「思い通りに事が運ぶので調子に乗ってつけあがる」ことであり、

「波に乗る」とは、
時の流れに上手く乗って栄えること。調子に乗って力を思い切り出す」ことです。

要するに、理に適っていればこそ。と言うことなのです。

分かり易く、学ぶほどに
”シンプル”になっていくのは、「操体」を学びつづける醍醐味であります。


さて今日は、昔話を一つ・・・。

構造・構成にはミクロの世界においてマクロを含有している。
小さなものは大きなものを写しだしてくれます。
しかし、小さなことに囚われていては大きなものはみえにくい。
大きな視点で小さなものを学ぶ意味。そんなことを感じます。

東洋医学的発想の特徴として、局所を診て全体を診るのには、
「脈診」「腹診」「舌診」「顔診」「足診」等がありますネ。

十年以上前になりますが、東京の渋谷に柔道整復学校があり、祐天寺経由で目黒地蔵通りに住んでいました。

当時、個人経営の整形外科・内科で働いておりましたが、鍼灸マッサージとリハビリ補助、ほかにも院長のお手伝いとして、
レントゲン撮影の補助、漢方薬の処方補助、なぜか院長室の水槽で飼っている「ピラルクー」の世話もしました。

その院長は台湾出身で中国では中医師でしたが、日本に来て医学部に入り直し(中国の医師では日本の医師になれない)
晴れて日本の医師となり、生薬での漢方処方、中国針での治療も取り入れて、リハビリには特製漢方温浴をしていたり、
一風変わった診療所でしたから、私は働きながらとても有り難く勉強させて頂きました。

東京で社会勉強もしましたね。院内でも一番若かったからでしょう。面倒見のいい患者さんも多く、色々な意味でかわいがってもらえました。
(そういえば、雅叙園と言うホテルの中にあるトイレで、スッテンコロリ腰を抜かしそうになったナア・・・)

臨床での院長は西洋東洋のミックスであり、診察でも視診・脈状診が得意でした。
現代の投薬のみならず、漢方や鍼、棒灸、をおこなった上で経過を観察しながら、患者の片腕を取り、

「オウ、ずいぶんいいネェ、これならダイジョブよ〜」

「ウ〜ンッ、それじゃこれ飲んでみて、甘いもの控えて〜」と、言う具合なのです。

 変に童顔な院長ですが、ある時、急ににまじめな顔をして患者に、

「あなたは一回精密検査をしなさい」 と、言ったときがありました。

あとから不思議に思い、どうしてですか?と、尋ねてみました。

「それはネ〜こんど分かるよ〜」

患者さんが再度来院し、検査結果を見せています。悪性腫瘍の初期だったようで、お礼に来たのでした。

なぜ?私はマンマルに目玉を丸くして、「どうして?わかるのですか?教えて下さい」と、矢継ぎ早に尋ねました。

その時、教えて頂いた言葉は、未だに忘れられません。

「これは教えられるものじゃない、これは私にしか分からないヨ〜」

「そう感じたから、間違いないと思ったから伝えただけだからネェ」

その後結局、種明かしをして教えてくれたのですが、(もう時効なので院長、書いちゃいますヨ)

中国で医者をしていた時代に、本気で伝説の名医がが出来たのであれば、私にも可能性があり、
脈状だけでも、何かつかめるはず。それに挑もうと決め、後はひたすら患者にお願いしては脈を取り、
疾患別に、年齢別に、入院患者の共通している脈状を、必死に感じ取っていたそうなのです。

「だからできるんであって、感じていたことの経験は、言葉だけじゃ教えられないネ」

その時はわかっておらず、言葉だけでそうなんだ・・・残念!と、あきらめかけていました。

それが、どのくらい大切なのか。

それこそが、どんなに大切なことなのか。

まだまだその時は、「知識の詰め込みでも何とかなるさ」と高をくくっていた私。

大きな低気圧がやってきて、気圧配置が東低西高になり、稲村ヶ崎に大きな波(稲村ジェーン?)がやってくるように、

満を持して三浦理事長に出会うのは、それから3年後のことでした・・・。

歴史に意味を持たせるのは、知識ではない。

それはおまえ自身の”意識”によって始まるのだ。

人から教わって何となく伝わったように感じても、自分で感じられなければ感じていないのだ。

自分で伝えたいことが、じぶんでやっていることに繋がっているかい?

ぬむう・・・。この声は誰だ?(でたな〜祝福ッスね〜)いつもありがとうございます。


岡村郁生


6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催