東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

歴史上人物考

私と言えば取りあえず歴史なので、山中鹿介に続き今回は毎度取り上げています龍馬伝にフォーカスしたいと思っております・・・
 ありがたいことに私はフォーラムの中では呼称が幾つかありまして、畠山先生からは“画伯”と呼んで戴き、三浦先生からは“竜馬”と呼んで戴いております。画伯は単純にお絵かき好きだからという理由で呼んで戴いており、実力から言えば恥ずかしい限りです・・・
三浦先生に呼んで戴いている竜馬に関しては、数年前に三浦先生に出させて戴いた年賀状に竜馬の有名な写真の頭だけを私の写真と合成して、竜馬もどき写真にして出させて戴いてから“竜馬”になった様な記憶があります。

 前のブログにも書いた様に私の歴史マニアに関しては時代限定マニアであり、奈良時代〜鎌倉後期まではサッパリですし、平和になってからの江戸期に関しては全く興味なしです。
混乱大好き!『戦国・幕末限定マニア』という特性を持っており、一番人間が人間臭い時代が好きなのです。
 特に世間は大河の影響で“竜馬”関係が非常に盛り上がっている様で、京都・高知・長崎は軒並み観光客UP!市内の渋滞もUP!しているようで、地元の人は微妙に迷惑しているようです・・・
 私は職業柄、夜、家族団欒食事という機会が殆どありません・・唯一、家族が集合するのが日曜夜8時からのNHK大河ドラマなのです。
何だかサザエさん系、昭和の匂いがする話しですが、私が結婚して16年これだけは変わらないルーティーンといいますか、コミュニケーションになっております・・これだけはNHKに感謝。。
基本、親父さんが歴史好きなので、男二人は割に内容を理解しつつ盛り上がっているのですが、女性陣二人はかなり微妙な中でドラマとして楽しんでいる体です・・嫁に至っては何度言っても理解出来ず、人物名は全て俳優名として覚えているという有様です・・・「先週の渡辺いっけいがぁ」みたいな感じです・・・
 
しかし、ホントに日本人は竜馬が好きです・・アンケートで好きな歴史上の人物なんてのを企画すると必ずベスト3に入ってくるのが坂本竜馬です。
何で皆、竜馬が好きなんでしょうか?一番の理由は司馬遼小説の影響だとしても、それ以外の理由は何でしょうか?
男として考えると、一番の理由は竜馬が男の夢と言いますか男の浪漫を体現していることでしょうか。

現代日本で考えれば、特に男性にとっては会社という、ある意味守られた世界から抜け出し、自分の力だけで社会の荒波の中をくぐり抜け、成功者と成りたいという野望を一度は抱いたことがあると思います。
残念ながら野望を抱きながらも現実は厳しく、今の生活を捨てることが難しいと考える人達が殆どだと思います。
それを更に今よりも厳しい条件だったであろう時代に、国を捨て見知らぬ土地へ飛び出し、地位も金も無い一介の浪人がやがては日本を動かしていくという壮大な物語に男であれば心揺さぶられるであろうと思います。
 
そんな、今では総理大臣の名前は分からなくても竜馬の名前は知っているという位までに有名になった竜馬ではありますが、当初は全くと言っていいほど無名の人でした。冷静に考えれば当たり前のことだと思うのです。
薩長同盟の仲介大政奉還の仲介など、まさしくブローカー業が竜馬の仕事だったので、歴史の表舞台に出ることも無く、地元土佐においても明治初年頃は坂本竜馬などと言う輩は一般の人達は知る人も無く、全く無名の存在でした。
忘れ去られた竜馬が再度、スポットライトを浴びたのは明治16年の頃であり、土佐の地元新聞に於いて竜馬を主人公にした「汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)」という小説が掲載されてから俄に名前を知られる様になりました。
遅ればせながらそれから8年後の明治24年に明治維新に功績のあった志士達に送られた官位である正四位(しょうしい)が送られました。

 時には政争の具として竜馬が使われたこともありました。明治維新により政治の表舞台へと薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥後)の雄藩が実権を握るようになりました。
しかし、日露戦争前位になると土佐閥は急速に政府での発言権を失うこととなり、その打開策として当時、宮内大臣であった田中光顕(土佐出身・陸援隊出身)が当時の皇后の名前を使い、竜馬を日露戦争の海軍における軍神に祭り上げ土佐閥の内閣での地位を再度、向上させる為に利用したこともありました。
皮肉にもこれが新聞の全国紙で扱われたことから全国的に坂本竜馬の名前が知られることと成りました。

 しかし、竜馬にしても私の尊敬する高杉晋作にしても100年以上経っている今だからこそ冷静に凄いとか、尊敬する!とか言えますけど、現代日本でこんな人達がいたらトンでもないことではあるんですけどねぇ・・・
例えば・・・『民○党みたいなぬるい外交政策をしていたら、神国日本が諸外国の食い物にされる!草莽決起して今の政府をぶっつぶすんだ!そのためには地方が立ち上がらなければならない!九州連合と中四国連合で同盟を組んで、民○党政権をぶっつぶすぞ!先ずは○○国の大使館に火を付けて狼煙を上げるぞぉお!!っ』て、今そんなことをしたら即、内乱罪かなんかで鎮圧されますけど、当時はそれを未だ20代や30代そこそこの若者がした訳ですから、その個々人のエネルギーや気概たるや想像も出来ませんけど・・・

そんな現代人には無い、国を真剣に思いやる気持ちや、ハートの強さが未だに沢山の人達の心を掴んで話さないのだと思いますけど・・・
幸いにもと言いますか私は自分の人生をかけて取り組めるものと出会ったので、幸運だと思っています。
世の中にはやりたいことが見つからないと迷い、嘆いている人達が沢山いますが、人が此の世に生まれ落ちたことに於いては全て意味があり、無意味なものなど何もないのです。やりたいことが明確に分かってやっている人なんて一握りしかいないのです。
でも思います、分からなくても良い!今、目の前にあるものを命がけで取り組むことで道は開けてくるのですから。道は無限にあり無限の広がりもある、いつも歩いてる道が明日は違う道に広がって行くこともあるのですから、出会いと可能性を信じることが明るい明日への鍵です。
止まない雨の日は無く、明けない夜はないのですから。


福田勇治