ここまで書いてみて『楽』とはどういう意味なのだろうかと、気になり辞書を引いてみようと思ったのですが、残念ながら手元に辞書がありませんでしたので、文明の力を用いてインターネットで検索してみました。(完全に楽してますね。)
『楽』
これをガクと呼ぶと音楽の意味となるのだけれど、今回はラクという音読みでYAHOO辞書で検索すると
1、身も心もやすらかなこと・安楽
2、ゆっくりくつろぐこと・身も心もゆったりしていること。
3、経済的に豊かなこと
4、簡単でやさしいこと・苦労しないこと。
まとめてみるとこころも身体的にも身体的にも経済的にも苦痛が無い状態にある状態と言えるようです。この言葉を聞いてふと思い浮かんだのが、「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないということではない。」というWHO(世界保健機関)の健康の定義です。
健康であるということは楽な状態とほぼ同じであると見ても良いのではないかと思うのですが、この健康な状態というものは、そもそも身体的・精神的・霊的・社会的に偏りが無いバランスがとれた状態であるということなので、症状や疾患を持つ患者にでは健康になる方に動いてくださいというのは無理があります。「こっちの方が聞きたいよ。」と一笑されるのが関の山です。実際に健康で生体のバランスが取れた方であればどちらに動かしてみても痛みがなくスムーズに動くことが出来るのですが、歪みが存在するからだでは必ず動きの非対称が生じてしまうものです。この楽な状態というのは生体の歪みが正され健康体になった時に到達する状態なのではないかと思います。
しかし一般的に「楽したい。」と言っている人達は同じ楽でもcomfortable(快適である)ではなくeasy(やさしい)ことを望んでいるに過ぎないのではないでしょうか。
私の好きな歌の歌詞の中にこんなフレーズがあります。
難しく考えだすと 結局全てが嫌になって
そっとそっと 逃げ出したくなるけど
高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな
まだ限界だなんて認めちゃいないさ
まだ僕たちが小さかった頃にはわからないことや出来ないことばかりで、出来ないことやわからないことと出会うたびにがむしゃらにその目の前の壁をよじ登ろうともがき苦しんでいました。何度も失敗していっぱい傷も作ったけど、出来なかったことが出来るようになったときの達成感というものは何者にも代え難い輝きがありました。でも少し大人になってある程度の知識や知恵がついてくると、目の前の壁を越える為に、一生懸命によじ上ろうとすることが鈍臭く感じてしまい。道具や他人に手伝ってもらって、よりスマートに乗り越えようと考え始めます。でも、それでなんとかその壁をクリアーしたとしても、果たしてそこに満足感や悦びはあるのだろうか、更に高い壁を乗り越えようと思える程のモチベーションを維持することが出来るのであろうか。ここが限界だよと大人ぶってみるのも悪くはないのかもしれないけど、いつまでも壁にぶち当たっては一生懸命にもがいている大人はとても魅力的だと思います。僕もまだ限界だなんて認めていません。だってブログまだ3日も残っているのですから・・・
■2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。