操体を臨床で行なっているという方には2種類います。
何か他の療法と複数で併せてやっている方、そして、操体を専門でやっている方です。
両者の違いは、楽を指針にしているのか、快を指針にしているのかが分かれ目なのではないかと思います。
自分の場合は務めでやっていた頃から独立したのは、操体しかやりたくなくなっていたからでした。
前者の場合で楽かつらいかで操法をとおすのは、操体の初期にはそうでしたし、現在でも全くやらないわけではありません。
操体について触れているブログをよく見たりしますが、そこで気になったのは、楽な方向にとか、気持ちのいい方向にという記述があまりに多いという事でした。
前者に関しては、知らないで書いているのだと思いますが、趣味でやっている分にはまだいいのかなという部分もあります。現在の操体はそうではないので勿体無いなと思いますが。
問題は後者の方かも知れません。
気持ちのいい方向にという表現をしている方は、手技療法などプロとして関わっている方が多いようです。
つまり、操体法が楽から快にシフトした事を知っている可能性が高いのではと思います。
でもその方達は、楽と快の区別がついていないのです。
楽は比較対照ですが快は比較対照ではありません。
気持ちのいい方向というのは、結果的にそうなのであって(正確には気持ちのいい動き)、動かしてみて気持ちのよさがあるかききわけ(動診)、あればその気持ちのよさを味わう(操法)という流れを理解していないという事です。
ちなみに楽をとおす場合、対になる動きを試してみて(動診)、楽な方向に持って行って瞬間急速脱力(操法)です。
方向という表現が比較対照を意識した言葉でもあります。
橋本敬三先生は、「楽と快は違う」「気持ちのよさを味わえばいいんだ」とおっしゃったのですが、その言葉の意味が伝わっていないのが現状なのですね。
楽な方向にという印象が強すぎるせいでしょうか。
それを考えると、始めに教わる相手は重要なポジションにあります。
指導する側が楽と快の区別をしっかり認識し、責任を持って教えていく事が必要ですね。