東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

年頭放談より・・・2

おはようございます。

 昨日、橋本敬三先生の「年頭放談」より抜粋した文章の中に、トリムという言葉が出てきました。文中で、トリムとは船のバランスをとることを由とする語で、人間身心のトリムをとって行こうという運動である、と書かれています。

 これを読み、私は、生命としての営みが、自然環境に適応して、満足して行われるように、身心のバランスをとって行こうという運動、と想像しました。
 そう、大海原という自然環境の中で、その環境に適応するようバランスをとり、風を受けて進む帆船のように。


 しかし、調べてみると、想像とはちょっと違う印象を受けた。
 トリム運動は、1967年にノルウェーで始まった。そして、同じ60年代にヨーロッパでは、みんなのスポーツ運動というのも起こっている。だから、ヨーロッパ各地、世界各国に普及する過程で、みんなのスポーツ運動を土台としてバランスをとる、という意味に変わっていったような感じを受ける。

 国によっては、トリムの意味は刈り込むとか整えるといった捉え方となるので、尚更、肉体の形を整えるよう体力作りに励む、そうすればストレス解消にもなる、という意味合いになるのではないかと感じられる。

 こうなると、自然環境に適応した身心のバランスという事には、つながらなくなってしまう。何故なら、スポーツは人間が考案した施設や技術、ルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む身体や頭脳を使った行為だからだ。(参考・・・wikipedia


 みんなのスポーツ運動が起こった背景には、自動化社会の成熟と、そこから情報化社会に移行する中で、人々の生活と労働全般における省力化、オートメーション化が進み、運動不足による健康と体力の低下が著しかったという事。都市への人口集中、過密化に伴う人間連帯性の喪失、管理労働下での人間疎外などの問題があったという事。
 それらの問題に対してスポーツを奨励し広く普及させ、健康と体力の増進と、人間疎外、人間連帯性の回復を目的として起こったのがみんなのスポーツ運動だという。

 つまり、背景には人為的、社会的につくられた環境と、人間の生命活動とのアンバランスによる、不具合がある。そして、それをスポーツという人為的なもので解消しようというものだ。
 しかし、人間をはじめ、すべての生命は自然環境があって成立している。人為的環境や社会的環境も然り。自然環境がなければ成立しないという事。
 だから人間が係わり、人為的、社会的につくられた環境と人間の生命活動とのアンバランスによる、不具合が生じたならば、自然環境という原点を振り返り、バランスをとるよう対策を講じる必要があったと思う。

 どんなに科学技術が発展しようとも、人間は天と地の間で生命活動を営まねば存在が成立しない。天地の間には自然環境があり、その自然環境に適応する為の自然法則が自在する。
 とりわけ、人間の生命活動の中で「息」「食」「動」「想」は他人に変わってもらえぬ自己最小限の営みであり、「息」「食」「動」「想」それぞれに自然法則が自在する。
 そして自然法則に合わせようとしなければ、一つ一つの営みが生体にとってストレッサーになりうる。だから自己責任がある。

 ここまでは自己の問題だが、人間は自然環境に手を加えて、周囲の環境を創りあげる能力も有している。
 それも一人ではなく大勢で協力し合って、大勢がより良く暮らせるよう、環境を整えていく。そこに、自然環境とともに、人為的環境と社会的環境が生じてくる。
 より良い暮らしを求めて生じた人為的・社会的環境も、自然法則から外れる生命活動を強いるようならば、生体にとってストレッサーとなる。

 ストレッサーとはストレスの要因となる事柄だから、生体がストレッサーに反応した時ストレスとなる。
 ストレスが積み重なると、異常感覚を伴うからだの歪みをはじめとして、身心に変調をきたしてしまう。逆をいえば、ストレッサーに反応しなければストレスとはならないという事になる。
 しかし、それではかえって何らかの支障をきたす。だから、ストレッサーに反応しても、ストレスを訴えるような状況にならない、柔軟で適応力のある身心の状態を育んでいく必要がある。この状態こそが健康状態だと思う。

 この柔軟で適応力のある身心の状態というのは、いかにして創られるか。それは、自然環境に適応するべく自在する、自然法則を元とした「息」「食」「動」「想」と「環境」とのバランスで創られる。
 このバランスは100点満点である必要はない。ただし、間に合うようにバランスをとること。

 説明が少々長くなってしまったが、何を言いたかったかというと、人為的、社会的につくられた環境と人間の生命活動とのアンバランスによる、不具合が生じたならば、自然環境の立場からも考え、自然法則を元としたバランスをとるよう対策を講じる必要があるという事。 人為的なもので問題を解決しようとしても根本的な解決にはならないと思う。
 スポーツのことを悪く言うつもりはない。スポーツには良い面も沢山ある。その良い面をより良く引き出すには、スポーツを土台としてバランスをとるという考え方ではなく、バランスをとってからスポーツという考え方の方が良いと思う。