東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

年頭放談より・・・1

おはようございます。

 昨日は、国の負債が1000兆円を越えたという事から、国の歳出の中で大きなウェートをしめる社会保障関係費について書きましたが、この現状を約40年前に見越し、費用の事はさておき、一人一人が人間としての尊厳をもって生を全うする大切さを説いた人がいました。
 それが操体の創始者、橋本敬三先生です。

 40年前というと、社会保障の大幅な制度拡充が実施され、老人医療費無料制度や高額療養費制度などが導入された頃と重なります。
 卑俗な見方をすれば、橋本先生も医師だったので、これらの制度を受け、患者も引き手あまたとなり、経営も順調で、さぞや裕福な暮らしが出来たのでは、と思うかもしれません。
 しかし、橋本先生はこれらの制度を良しとせず、逆に苦言を呈している。それが約40年前の昭和51年に「年頭放談」として、東北日報に掲載された文面です。これは、物療内科・非保健医・温古堂として載せている。

「生体の歪みを正す」の418ページにも、載っていますので、一部抜粋します。

世の中、不満不服で要求要求の声ばかり強く、票につながる議員どもは、先のことなどどうでも、自分の首が可愛ければ、デマンドにペコペコ。やれ高福祉だ何だと御機嫌とりに懸命だ。
 愚老は老人がキライだ。老人といっても人におんぶしたがる老人のこと。体力的に衰えた老人に活動を求めるわけではないが、少なくとも奉仕の念のない老人はきらいだ。
 山崎朋子の書く「サンダカン八番娼館」に出てくる敗残の唐行さんのおさき婆さんの心境、現在己れの悲惨な境涯にあって、なお他人様の幸せのみを神仏に祈る崇高な姿を見れば涙が止まらない。
 せめて他人様のために祈る心をもちたいものだ。地獄に住んでいながら仏様になっている。有難や有難や。
 福祉福祉でただただ経済援助をするのが福祉ではない。せめて老いても、なんとか他に迷惑をかけぬように生の終りを完うできるような態勢を進めて上げるが本当の福祉でなければならない。
 五十年末に元通産次官の佐藤滋氏が音頭を取って、日本医師会と民間健康運動推進団体と経政界のトップが会合して、トリム運動を展開する相談がきまった。
 トリムとはスウェーデン語で船のバランスをとることの由だが、人間身心のトリムをとって行こうという運動である。

 時代背景を思い出しながら、この文章を読むと、老人医療費無料制度が有効だった時は医療機関が高齢者の社交場と揶揄されたりもしていた。病院に行ったら「○○さん、今日は来ていないけど、どこか具合でも悪いのかしら」という会話を聞いたとか、聞かないとか。
 それほど、無料なのだから受診しなければという人も多く、早急に受診しなければならない人が受診できない状況ともなっていた。その事に対する抗議の気持ちもあったと思う。

 しかしそれよりも、単に「楽」になる事ばかりを先行させると、かえって堕落を招き、人が人として自律した生き方が、出来なくなってしまう事への、憂いの心情が感じられる。

 何よりも、健康とは自らの責任に於いて克ちとるべきもので、自分自身で創造していくものだからだ。その為に、原始感覚が誰にでも備わっている。良くなるように、良くなるように動きたいという本能をもった、からだも有している。そういった天恵を思い起こし、バランスをとっていけば良い、ということだと思う。

 頑張って鍛え直すという事ではない。全然違う。お歳を召されているのなら、尚更無理は禁物だ。介助してもらわなければ、成らない状態であったならば、介助してもらえば良い。無理せず介助してもらうべきだ。
 しかし、自分自身の感覚というものは、自分にしか解らない。ここのところはキチンと自分で感覚をききわけるべきだ。そうでなければ自律につながらない。支えてもらって「楽」をしているだけとなってしまう。

 橋本敬三先生も、晩年は高齢の為、日常生活で動き回るにも、他の人からの介助を必要としていた。その度に「有り難い」「有り難い」と感謝の言葉を口にされていたという。
 そう言われれば、介助する方も迷惑とは感じないだろう。誰でも齢はとるし、お互い様なのだから。感謝の念は勿論、奉仕の念も込めて「有り難い」と口にされていたのだと思う。

 そしてこの「有り難い」は、他の人の優しさに対して言っている事は勿論だが、その優しさが自身のからだに響いて「快」と感じられる事にも「有り難い」と言っていたのだと思う。
 からだの感覚のききわけであり、これも一つの操法だと思う。「快」をききわけ、味わい、心とからだのバランスをとって行く。

 これだけで魔法みたいに10歳も20歳も若返って健康になるということはないだろう。
 しかし、状況に見合った、間に合ったバランスをとることにはなる。それが継続的となれば、結果的に長寿や満足して生を完うする、ということにもつうじると思う。

 今日は最後に、医道の日本誌に掲載されていた「歴史に残る斯界の人々 其の三十五 橋本敬三」という特集記事の中のものを抜粋します。

橋本は95歳で老衰によりこの世をさる。橋本雄二氏は孫として、主治医として晩年を見守っている。

「寝たきりになってもベッドの中で動いて最後の最後まで操体をやっていました。驚いたことに褥瘡や関節拘縮も起きなかった。最後まで西洋医学的な治療は何もしませんでしたが、自宅で家族に見守られ、治療家にふさわしい穏やかで人間として自然な最期を見せてくれました」