東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

野球とBase Ball

お・も・て・な・しって妙なフレーズの後に、チーンって手を
あわせてご焼香されてもなぁ〜などと思いつつも、2020年の東京オ
リンピック開催が決定致しました。
私自身、身体を動かすことは大好きで、未だ将来の夢や仕事の選択
にモヤモヤしていた際も漠然と、スポーツに何らかの関わりを持て
る仕事に就ければ良いなぁ〜等と妄想していた時期もありました。

ま、自分自身の現実的スペックからその可能性がゼロだと分かり、
普通に就職してサラリーマン生活が始まったわけです。
その思いからはや30年が経過して気付けばスポーツを側から支える
ことの出来る仕事に就けていることに妙なご縁を感じています。

そんな私が仕事以上に愛してやまないのが、長年続けている『野球』です。
気が付けば小学生の頃から続けていますので、野球歴は40年以上に
なるわけです。基本的に飽きっぽい性格の私ですが、こと野球に関し
てだけは嫁曰く、まぁ〜飽きもせず重傷ですねぇ〜って言われる位、
続いているわけです。

私自身、シーズン中は生活の中心が野球になりますので、土日は言う
に及ばず、平日ナイターも含め、ノンプロか!って突っ込みたくなる
位の試合数をこなしているわけです。
これはほぼ病のレベルなので、どうしようもありません。野球に関し
てはプレイヤーとしてが一番ですが、観戦も嫌いではないので、テレ
ビは録画をしてみたり、観戦にも行きます。

特に好きなのは高校野球で、時間さえあれば島根の地区予選も殆
ど観戦に行きます。
なので例年、7月の中旬から予選終了の7月下旬までは仕事ですら夜を
中心に組んでいるほどです。研究所でみている子が出場したりするので、
応援という名目ではありますが、単純に観たいから!って個人的な動機です・・・

島根県も徐々にレベルは上がってきて、プロで活躍している選手も出て
来るほどになっては来ましたが、未だ未だ他の地区に比べると見劣りし
てしまいます。
特に最近は甲子園をみても二年生や一年生が活躍している事も多く、
今年夏の大会で優勝した前橋育英の高橋君も未だ二年生の選手です。
関西圏や関東圏などボーイズリーグやリトルリーグなどが充実している
地域と、そうでない地域の格差が益々出て来る様になってきました。

発達が未熟な小中学生の頃から公式ボールを使用することには賛否両論
ありますが、リトルのワールドシリーズにおいても、日本は昨年、今年
も優勝し、何度も世界一になっています。ま、その様な優秀な選手達が
名門校へと進み、甲子園を目指すわけです。

ところで、タイトルにもなっていますが、近年、野球とベースボールの
違いがマスコミにも盛んに取りあげられる様になり、時には白熱した議
論を生んでいます。
同じでしょ?って言われる方もいますが、Made in Japanが”野球”であ
ると理解戴ければ良いかと。
この両者は同じ様でいて、大きな違いがあります。Baseballというアメ
リカ生まれのスポーツに日本独特の精神文化を取り込み昇華させたのが
『野球』だと思います。

これは日本スポーツの特徴でもあり、野球に限らず、他のスポーツにおい
ても『○○道』などと言って、精神的支柱としてスポーツを教育の場に置
きたい思惑が見え隠れはしますが、その話しをし出すと長くなるので、野
球に話を戻します。

今年の夏にアメリカのスポーツ総合誌「ESPN」上と、同スポーツ専門
局ESPNの「OUTSIDE THE LINES」の中で、愛媛県済美高校の『安樂智大
(あんらくともひろ)』
君のことを大々的に取りあげていました。
この安樂君はタイプ的に言えばマー君こと楽天イーグルス田中将大に性格
的にも、ピッチング的にも、よく似た力投型のピッチャーです。高校進学時
には全国の強豪23校から声がかかったという逸材でもあります。最終的には
地元、松山への恩返しと済美高校の上甲(じょうこう)監督への思いから済美に決めたようです。
私的にも非常に好きなタイプのピッチャーなので、今年の愛媛県の地区予選
決勝戦をわざわざ、安樂君を観に行ったほどです。

そんな、来年のドラフト注目の日本人に対して『安樂の772球』と題して、
海の向こうアメリカで論議をしていたのです。今年春の選手権で、安樂君は
決勝戦までの3日連投を含む5試合を投げ、計772球という球数を投げたという
ことがアメリカ人にとっては”アンビリーバブル!”なことなのです。

番組や記事では一様に『無茶だ!酷使している!』とかなり辛辣な言葉で指
導者を含めた日本球界に異論を投げかけていました。
特に米国では肩は消耗品と考えられています。投げれば投げるほど、肩は傷
つくと考えます。
ですから、日本では肩を作る、或いはフォーム固めをする時期と考えるキャ
ンプでさえ、投手に自由に投げさせることはありません。
日本からメジャーに挑戦する投手も、まずそこに戸惑います。
そもそも米国では、リトルリーグの段階から、大きな大会ともなれば球数制
限があり、更に連投も禁止します。彼らの野球文化を軸に考えれば、772球は
常軌を逸している以外の何ものでもないのです。

これは今となっては過去の人となってしまいましたが、ハンカチ王子
と現日ハム斎藤佑樹投手も2006年の夏の大会決勝戦まで948球を投げています。
確かに現在プロで活躍している選手はその殆どが、『子供の頃からエースで四番』
という絵に描いた様な、野球エリートであり、その上、ローテーションで投げて
いる様なピッチャーともなれば、生涯投球数たるや、とんでもない球数になると思います。

この球数制限の真意は確かに選手の健康面を考えての意図もありますので、
職業柄否定はしません。しかしながら、米国側の球数制限の裏側には投資対象
としての素材を損なわないといったビジネス的側面がとても大きく影響しています。

メジャーの様に複数年契約で一人の選手に数十億円といった巨額投資を行う場合は、
その選手の関連グッズを含め、賭けた投資分の回収が必須となります。
ですからアマチュアの頃から、本人や球団側の意識の延長線上には常にビッグビジネス
が存在する、これがある意味でのBaseballの側面です。

野球にも当然その様な思惑も意識もあります。最近の高校生でもメジャーを意識した
選手達がたくさん出て来ており、将来はメジャーでと公言している選手達も多々います。

ですが、野球の根幹に深く根付いているのは、アマチュア精神に則った、どことなく
刹那的精神性でしょうか。日本のプロ野球で現在活躍している選手でも、甲子園は
特別だと皆が語ります。
以前雑誌のインタビューで、あの人は今的な特集で、甲子園の優勝投手のその後を追って
いたのですが、投球過多によって肩や肘を痛めてしまい、優勝後、野球が出来なってしまった
様な人達にインタビューしていましたが、全ての方々が『全く後悔はしていません!』
キッパリ言い切っています。それ位、甲子園とは球児にとっては特別な場所なのです。

私が普段見ているクライアントにも、「明日は投げるの止めて、
肩休ましぃ」って言っても、ニッコリと笑って「はぁい」と言いますが、多分投げるこ
とは織り込み済みです。
休めば試合に出られない、アマチュア野球の寿命は中高併せて約6年ですが、この6年に
本人だけならまだしも、親も一緒になって立ち向かっていくのが、凄いです・・

子供さんの将来を考えて、「今無理すると肘が伸びなくなったり、肩の水平ラインより
上方に腕が上がらなくなりますよ」って言っても、涙ながらに「明日一試合だけでも投
げられる様になりませんか!」って訴えられると、元高校球児としては両方の気持ちが
分かるので、何とも言えなくなります。少なくとも、高校卒業までの6年間は一族郎党
揃っての集団センチメンタル状態になってしまうのです。

この辺りがBase Ball Bearの観点から見ると理解出来ない部分であるのかもしれません。
米国にとってスポーツそのものを精神論で語る日本は、ある意味理解し難い宇宙人的要
素での脅威でもあり、日本人そのものの、精神性の原点ではとみているようです。

野球に関して語ると、それだけで一週間分のブログが終了してしまうので、ここらにしと
きますが、かつての高校球児の成れの果てが、齢50を前にしても未だ、生活の中心を野球
に置き、自分自身の限界に挑戦し続ける元球児が出来上がるのです。
私にとって野球とは、それだけ奥深く、ワクワクさせるだけの魅力あるものだと、未だに
感じているのです。