愛と神隠し7 〜手の平〜
手の平は人間の生き方、思想を忠実に表わしている。
それは一つの愛の結晶のようにも見える。
昔、ある女優さんが手に触れた時のフィーリングで男性を選ぶというのを見たことがある。
私もその女優さんが言っていることを少しは理解出来る。
臨床の時に患者と話をして得られる情報よりも手の平を見たり、触れたりすることで得られる情報がその人と体を理解する最良の手段になるような気がする。
手の平ほど人の体温であったり、しわの形状にしてもその人の特徴が出る部位は他にはないので、診なければならないような気がしてならない。
恐らく私がこういったことを感じるのは、エネルギーの入出力を一番行っているのが手の平であるからかもしれない。
人が握手することも、神社で手を合わせて一礼することにしても、手の平を重ねることは神性(愛)と繋がっていく一つの作法なのではないだろうか。
そんなことを考えていると、保江邦夫氏と矢作直樹氏の対談の本でこのようなことが書かれていた。
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『手の中心を「たなごころ」といいますね。その「たな」は神棚の棚なんですね。あわせたときに、そこに神が宿るという』(P158より)
この言葉からも手の平には神がいることがよく分かる。
また、手の平に窪みも、神・自在空間からの愛を受け取る「器」なのかもしれない。
こういった捉えかたをすると、私達が今まで認識していた体のパーツの役割には裏の意図があるように思える。
それも神隠しの一つであり、これを明かしていくことも学問だと思う。
一週間ありがとうございました。
来週からは半蔵さんです。お愉しみに。